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とはいえ、主役は音楽(藤谷治『船に乗れ!2 独奏』)【ネタバレ注意】 [本と雑誌]

第2巻をもとめて本屋を何軒も探し回り、5軒目でようやく発見する。

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1巻で予告されていたとおり、「僕」を取り巻く状況は2巻に入って急激に転回していくけれど、そのうち大きな二つの出来事は主としてト書きで、あるいは他人の口を借りて説明される。直接のせりふの積み重ねでなく「説明」やモノローグになってしまうと、どうしても頭が「説明を聴く」モード(「ストーリーについていく」モードといってもいいが)になってしまって、小説としての面白さは損なわれてしまう。この点で画竜点睛を欠いた感もあるが、それは瑕疵というほどのものではない。

結局、登場人物たちがすべったりころんだりするたびに、それらと一切無関係にそこにある音楽の峻厳さが—主役としての音楽が—浮かび上がってくるのだった。1巻で、「これらの曲を演奏したり、聴いたことのある人なら楽しめるに違いない」と書いたが、これは訂正しなければならない。
仮に読者がこれらの曲を一切聴いたことがなかったとしても、この小説で音楽が占めている絶対的な位置や、「僕」の苦しみは腑に落ちるはずだと。

1巻の半ばで「僕」はこう悟っている。少し長いが引用する。
「僕たちは自分のやらなきゃいけないことの、主役にはなれないんだ。僕たちの人生の主役は音楽で、音楽の、この絶対的美しさの前では、僕たちの喜びや悲しみ、怒りや苛立ちなんか、ほとんど意味なんかない。音楽はこの世にあらわれる、この世ならぬものだ。この世ならぬものにとって、この世のものごとは哀れな夾雑物にすぎない。」(p.140)

そういいつつ、「主役は音楽、とはいえ」と書かざるをえないほど生気にあふれていたこの小説は、やはりここに至ってそのメッセージをきちんとストーリーで示したわけだ。前言をもじっていえば、「とはいえ、主役は音楽」ということになる。ストーリーで示しただけでなく、最後の2ページの文章は、このジャンルの、あるいは音楽を扱った数多い小説のなかでも、きわめて完成度が高く、良質で、情理を描ききったといっても過言ではない。ぜひ読んでほしい。

しかも、この2ページで「僕」が演奏するのは
♪ バッハ「無伴奏チェロ組曲第2番」からプレリュード
♫ ラフマニノフ「ヴォカリーズ」
♫ ラフマニノフ「チェロ・ソナタ」から第3楽章
の3曲で、これ以上の選曲は考えられないほど—というか、この曲を念頭にこの小説が書かれたのではないかと思えるほど―ストーリーにぴったりはまっているのだ。

また、この3曲が痛切であればあるほど、1巻で「僕たち」が演奏し、巻末で「僕」の多幸感のシンボルとして頭の中で鳴り響いていたチャイコフスキー「白鳥の湖」のワルツが、今となっては残酷なまでに哀しいものとして読者の脳裏をよぎる。正直、この先何年か(あるいは、この先ずっと)、このワルツを聴くたびに、この小説を思い出すことだろう。

さてこの話、2巻で終わるのかと思っていたら3巻(完結編)が11月に出るという。「僕」をめぐる主要な登場人物が既にふたり失われてしまっている上、この先に控えているのはさらなる「混濁と苛立ちと悔恨」(p.160)であるとしたら、いったいどのようにストーリーを回していくのだろう。いや、ただ回していくだけでなく、これだけ良質のストーリーを、この先どうやって紡ぎ続けていくのかと、不安でもあり楽しみでもある。

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