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第79回深夜句会(11/20) [俳句]

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珍しく締切まで余裕があったので、いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」に寄ってサンドイッチをおいしくいただく。店内はすでにクリスマス仕様。

(清記用紙から)

降り積みし落葉の窪む窪地かな

季題「落葉」で冬。
奥多摩や奥武蔵を歩き慣れた方なら同意してくださると思うのだけど、あのへんを歩いていて一番気分がいいのは、春でも秋でもなく、全部葉が落ちてしまってから雪が降り出すまでの初冬だと思う。森がすっかり明るくなり、地面は落葉でふかふか。ときどき踏み跡がわからなくなってしまうのが難点だけど、遠くまでよく見えるし、長時間歩いてもあまり汗でべたべたにならないのもありがたい。
そこまでの山の風景ではないかもしれないが、その落葉が、窪地にたまっている。地形をうつして、落葉がボウルのように窪んでいる、その窪みではないが、冬の低山の、ちょっと風もよけられるような窪地であることよ。

ほやほやの赤子生まるる冬の雨

冬の雨が冷たく降りしきる日に、赤ん坊が生まれてきた。「ほやほやの」という思いきった措辞が功を奏して、赤ちゃんが冬の雨と冷気のなかで、湯気を立てているように感じられる。ここに生きものがいる、という感じの、さらにその中心的な部分を切り取って見せてくれた一句。

(句帳から)

生垣の向かうを嚔遠ざかる
川流れつづける鴨の脚の下
枯草と土手と踏切小屋残る

福音館書店母の友編集部編「ぼくのなまえはぐりとぐら-絵本『ぐりとぐら』のすべて」(福音館書店、2001) [本と雑誌]

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郵便局の前を通りかかると、ちょっとした行列が。
ちょうど用事があったので列に続いて入ってみると、みなさん郵便窓口へすすんでいく。「ぐりとぐら」の切手を売っている。ついつい買ってしまう。

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さて本書は、福音館書店の超ロングセラー「ぐりとぐら」誕生のいきさつと、日本や海外の読者に受け入れられていった過程を紹介している。今まで勘違いしていたのだけど、「ぐりとぐら」より先に、これまた名作である「いやいやえん」があったのですね。こどもが読む順番だと、「ぐりとぐら」→「いやいやえん」になるので。

著名人による「ぐりとぐらへのトリビュート」も収録されているのだけど、なぜ「ぐりとぐら」に惹かれるかを説明するのに、みなさんかなり苦労されている。そこで自分も、試みに説明を。

自分が同時代で知っている「ぐりとぐら」は、第1作「ぐりとぐら」(1963)の傑作集版(1967)と、第2作「ぐりとぐらのおきゃくさま」(1966)だけなのだけど、この2冊を初めて読んだときの興奮は、今でもよく覚えている。その興奮を個別の要素に分解していくと、
 ・狭い場所、小さな場所にみっしり細かいものがつまっている感じ
 ・色遣いの上品さ
 ・文がもつ独特のリズム感(七五調ではない!)
 ・おいしいカステラの存在
といったことになるのではないかと思う。
そういう要素をもったこどもの本って、むろん数多くあると思うのだけど、半世紀を経てなお本シリーズが読み継がれているのは、これらに加えて
 ・ぐりとぐら以外の「住人たち」にそれぞれ持ち味があり、それらが序列や諍いなく共存している
ということがあるからではないかと。

また、「ぐりとぐら」に添えられた付属冊子「まず絵本を読むまえに」には、編集者松居直さんのこんな一文があるという。
(以下本書65頁から孫引き)

「絵本をかくということは、人間に対する深い信頼がなくてはできません。(中略)この絵本は、いろいろな意味で、日本の現在の絵本界に一石を投じると思います。何よりも子どもたちが大喜びしてくれるでしょう。」

(以上引用終り)
この自信はやはり、石井桃子さんや瀬田貞二さんたちとともに、日本に「こどもの本」というジャンルを切り開いてきたという自負からくるものだと思うし、事実そのとおりの展開になったわけで。

そういえば、本書にはフライパンでつくるカステラのレシピが載っている。試してみなければ。



番町句会(11/14) [俳句]

街も人も、急に冬らしくなってきた。
先月の締切猛ダッシュから一転して本日は早めに到着し、亥の子餅をいただく。お題は「鷲」「蒟蒻掘る」。
蒟蒻掘るところって見たことがないのですが(汗)

(選句用紙から)

霧に現れ霧の中へと人消ゆる

季題「霧」で秋。例えば登山道であろうか、霧の中から不意にふっと人が現れ、こちらへ近づいてすれ違ったと思うと、あっという間にまた霧の中へ消えていった。現実の風景ではあるのだけど、ミステリアスな雰囲気を漂わせている。ただ、霧「に」現れ、って、ちょっとこなれていない言い方のように思えるが。
(清記用紙を見て心の中で「♪霧に消えゆく一本刀~」と唄ってしまったのは私だけですかそうですか)

大鷲の大鷲たるを檻ごしに

季題「鷲」で冬。鷲とか鷹とかの猛禽類ってふだん身近に見慣れているわけではないので、ぱっと見て鷲ですとか鷹ですとか説明されてもよくわからないのだけど、檻の中にいるその鳥の様子は、眼の光であろうか、それとも餌への食いつきぶりであろうか、大鷲「たる」ゆえんを存分に見せつけてくれた。

(句帳から)

雪雲のまとはりついて浅間山
冬の夜明け紺色深きところから
ぐりとぐらブルーと赤の冬帽子
病室に父と子と孫冬ざるる
爆弾のやうな蒟蒻掘つてをる

山内裕子句集『まだどこか』を読む(4)わずかなもの、かすかなものに向けられた視線 [俳句]

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最後に、わずかなもの、かすかなものに向けられた視線について。

硝子戸に残る雨跡冬日射し

季題「冬日」で冬。雨があがって冬の日差しが屋内に入り込みはじめたのであろうか。室内が明るくなってきたのでガラス窓を見ると、さっきまで降っていた雨が水滴となって点々と残っている。そこに冬の日光が浅い角度で当たるので、水滴の一つ一つが輝いて見える。そこそこ強い雨で、風を伴って降っていたから雨跡が残っているのであろう。そこへさしてくる冬日と、その向こうにある冬の青い空が想像される。

一本の足は葉裏に蝉の殻

季題「空蝉」で夏。木の葉にしがみついた形で残っている蝉の抜け殻(いつも思うが、あれはどうやって落ちずにいられるのだろう)を見つけ、近寄ってよく見てみると、その茶色い抜け殻の脚の部分の、その一本だけが葉裏までかかっている。ミクロな、しかし蝉が力のかぎりをつくした様子が、ここに抜け殻として残っている。自分が通り過ぎてしまえば誰も気づかずに終わってしまうかもしれない小さな発見。

冬の駅ごとに居酒屋同じ名で
齧られて笠の欠けたる茸かな



さて、これまで4回にわたって『まだどこか』を鑑賞してきたけれども、眼前の季題やできごとを見たときに、「それはそういうもの」で終わりにしてしまうと、どうしたって、もっと新しく珍しいもの、人目を引く大ぶりなことがらに関心が向くことになる。これは自分の反省として書くのだけど、毎日のように俳句を詠んでいても、いや、詠んでいるからこそ、よほど気をつけないと「これは元来こういうもの」「○○といえば××」で片づけてしまいそうになる。『まだどこか』は、そういう決めつけをせず、虚心坦懐に周囲を見ていく詠み方のお手本といって差し支えないと思う。

そのような視点で詠まれた句は、一見何も言っていないように見え、人によっては「それがどうしたの」と言い出しそうだが、それでもその場に踏みとどまって、なお季題を見つめつづける。そうすると、一見ありふれた事実のなかから、その季題のもつ季節感がゆっくりと立ち現われてくる。ここでもあくまで主役は季題であり、詠み手自身が前景化したり、大げさにすることは避けられている。この点については、栞で本井英主宰が「但馬派を継ぐひとり」と題して詳しく紹介され、そうした特徴は「(京極)杞陽先生の俳句や文学を表すにふさわしいものではあるまいか。」と述べられているので、むしろそちらをお読みいただくことが適切であろうと思う。

いずれにせよ、これまで4回にわたって紹介してきた季題へのアプローチの結果、全編に静かな空気がゆきわたり、ちょうどたそがれ時またはかわたれ時のさなかであるように感じられるのである。


山内裕子句集『まだどこか』を読む(3)時のうつろいかた [俳句]

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その次に、「時のうつろいかた」の視点について。

虹立つているところまで行けさうに

季題「虹」で夏。雨が上がって日が差して、明らかで鮮やかな虹が立ったのであろう。むこうに見える家並のどこかから立ち上がっているように見える虹の、その足元まで歩いていけそうな気がする、それほどくっきりとした虹であることだ。「行けそうに」の心躍る感じ(しかし、手放しにはならない)が印象的。

近づけどもう虹も無くなにも無く

前の句を受けて、虹の足元まで歩いて行こうと勇んで近づいていったけれども、その場所にはむろん虹の足などなく、しかし虹が同じ方向の遠くに逃げていくわけでもなく、かえって虹そのものも見えなくなってしまった。虹もなく「なにも無く」の踏み込んだ物言いが「行けそうに」とは逆の心の動きを描いている。

97ページに並んでいるこの2句を読むと、多くの読者は虚子『六百句』の

 虹立ちて忽ち君の在る如し 虚子
 虹消えて忽ち君の無き如し 虚子
         (昭和19年10月20日※)

を連想されるのではないだろうか。
虚子のこの2句(※『句日記』には同じ10月20日の句として「浅間かけて虹の立ちたり君知るや」「虹かゝり小諸の町の美しさ」の2句とあわせて4句が収録されている。)と『まだどこか』の2句を比べると、虚子の2句が「立ちて」「消えて」で時の経過を表現しつつも対句的な表現に面白さがあるのに対し、『まだどこか』の2句は、後の句が前の句を受ける形で時間がすすんでいく、そのうつろい方に詩情が感じられる。またこの2句は、片方が「行けそうに」で終わっているため、連句の発句と付句のように続いていく感じを醸し出していて、この点は句集を編む上でねらいとされているのかもしれない。164ページの2句「行き合はす人に祝はれ七五三」と「下の子を抱き髪置の子を連れて」にも同様の感じがある。

句集『まだどこか』にはこの他にも、時のうつろいを描くことで抑制された抒情を表出した句が時折現れる。例えば、「これから起こる何か」を念頭においた

 頂上を今越えてゆく山火かな  
 まだ何もしてない畑いぬふぐり

などの句や、「かつて起こった、かつてあった何か」を念頭においた

 旧館の跡の花野でありしかな
 かつて住みし路地まだ残りみみず鳴く
 震災の石碑に罅や草の花
 捨て畑の天水桶の初氷

などの句は、単に「何がどうなった」というのでなく、長短さまざまな時間の経過が、淡い詩情をもたらしているように思われる。


山内裕子句集『まだどこか』を読む(2)人のあらわれかた、動物のあらわれかた [俳句]

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次に、「人や動物のあらわれかた」の視点から、印象に残った句を鑑賞してみたい。

きちんと数えて他の句集と比べたわけではないのだけど、『まだどこか』の登場人物はそれほど多くない。そのため、ページごとに父とか母とか孫とか妻とか上司とかが出てくる句集(それがいけないといっているのではないので、念のため)に比べれば、静かなおもむきになっている。
しかし、その数少ない登場人物が印象的に描かれ、場面の転換や句の(配列の)流れを変える働きをしているように思われる。

看板を蹴つて屋根方鉾まはす

季題「祇園祭(の鉾)」で夏。その山鉾の屋根の上、両側に陣取って電柱などとの接触に備える役回りが「屋根方」、と書いてしまうと何気ないのだけど、あの高い山鉾の上に、ただ落ちずに座っているだけでも大変なのではないかと。
で、テレビで見る例えば四条河原町みたいな大きな交差点の真ん中で方向転換する場合なら、ある程度のスペースがあるからこういう風景にならないのだけど、どこか狭いところで鉾の進路を変えなければならないのであろう(鉾には鉄の車輪がついていて、その方向を変えるのは、とても難しいと聞く)。ぎりぎりで回そうとするのだけど、山鉾の屋根が道路沿いの商店かなにかの看板にぶつかりそうになった。山鉾は背が高い(重心が高い)から、まともにぶつかれば大事故になるところだが、そこで屋根方が片足を屋根に残したまま、片足で看板を蹴り(自らの危険を顧みない軽業!)、かろうじて事故を避けて山鉾を回しおおせた、という場面。文章で書くとかくも面倒なことを、17文字で過不足なく詠んで詩情をもたらしているのだが、さらには句集全体のなかでも、この鮮やかな場面が、句の進行にリズムをつける役割を果たしているように思われる。

霧の駅に隣の席の人下りし

季題「霧」で秋。電車が減速して駅に止まると、そこは濃い霧に包まれている。その様子を眺めていると、いままで隣の席に座っていたお客さんが立ちあがって下りていった。その後ろ姿も、あっという間に霧に隠れてみえなくなってしまう。ホームには誰もいない。自分のとなりに空席だけが残る。まるで初めから誰も座っていなかったかのようだ。宮澤賢治の物語の一節を連想させる、ミステリアスな一句。

紙雛ひとつ置かれし祠かな

季題「紙雛」で春。ここで詠われているのは、「いまここにいない人」。


小屋掛けの二階より子や年の市

季題「年の市」で冬。正月のしめ飾りや祝儀物なんかを商う市。さすがに駅前で小屋掛けとはいかないだろうから、寺社の境内であろうか、仮小屋をしつらえて、ちょっと本格的に商っているのだけど、そんな商品がぎっしり並べられた仮小屋の二階から、子供が下りてきた。このお店の子だろうか。普段はどこでどうしているのだろうか。いつからいつまでここにいるのだろうか。余韻があとを引く一句。

年を守り終へし茶碗を洗ひをり
季題「年守り」で冬(歳晩)。「洗ひをり」としたことで、洗っている自分を後ろから見つめているような不思議な視点になる。

珍しく父のゐる昼子供の日
座り込む外人二人サングラス
島渡船山笠の男と乗り合はす

ときどき効果的に現れる「人」と同様、さまざまな動物もまた静かな写生の対象でありながら、俳句の流れを変える役割を果たしている。

口明けて獏の寝ている春の昼

猿や猫ではなく、バクが口をあけて寝ているというのだけど、いったいバクの口って、あの長い先端のどこが口でどこが鼻なのか、そして口をあけたらどんな風になるのだろう。のどかな春の昼らしい、いささかのおかしみをたたえた風景。

片陰をはみ出してゐる猫の耳

季題「片陰」で夏。暑さを避けて日陰で寝そべっている猫の耳だけが、その片陰からはみ出て日があたっている。「猫の額」は狭い場所の代名詞だが、「猫の耳」とはさらにわずかなものをよく観察したものだと思う。その耳がひくひく動いていたりして。

まだどこか壊れものめく仔馬かな
草市のはづれ子犬のつながれて
水引の花の先より蜘蛛の糸
黒猫の跳んで狗尾草の中


山内裕子句集『まだどこか』を読む(1)場所の切り取りかた [俳句]

ともに「夏潮」運営委員を務める畏友山内裕子さんから、第一句集『まだどこか』(2014、ふらんす堂)をご恵贈いただきました。ありがとうございます。
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句集を読むときには鉛筆を握りしめ、共感できる表現や鑑賞、先行する著名な句との相異その他をどんどん書き込んでしまうのが自分の流儀なのだけど、『まだどこか』にはずいぶん多くの書き込みをして、すっかり汚してしまった。多くの実作者に読んでほしい句集と感じるので、手にとっていただくための一助に(なるか心もとないが)、強く印象に残った
 「場所の切り取りかた」
 「人のあらわれかた、動物のあらわれかた」
 「時のうつろいかた」
 「わずかなもの、かすかなものに向けられた視線」
の4つの柱をあげて、いくつかの句を鑑賞してみたい。

最初に、「場所の切り取りかた」について。

鉄橋の下に町あり青嵐

季題「青嵐」で夏。「今は山中、今は浜…」という歌があったけど、列車に乗って(バスに乗って、でもよいのだが、景色が気に入っても停めることができない鉄道橋のほうが「町あり」が生きる)、あるときトンネルを抜けてすぐ高い橋を渡った。鉄橋の下にあるものといえば河原と相場が決まっていそうなものだが、ふと鉄橋の音に気付いて下を見ると、そこに町並みが広がっていた。そして、鉄橋を渡っている自分の列車も、眼下に広がるその町並みも、強い風が吹き渡るただなかにある。
ここでその青嵐がどんな青嵐か、ということは説明されていないけれども、眼下の町並み、その上の鉄橋、その鉄橋を渡る列車に乗っている自分、さらにそれらを鳥瞰する視点(たとえば山と海が接し、河口ともいえないような小さな河口に小さな町が広がっている)。場所を切り取ってくる切れ味によって、いまその場所を充たしている季題「青嵐」が、お約束を超えたリアルなものとして感じられる。記憶のなかのファイルをめくってみると、東海道線の根府川とか、五能線の深浦、松浦線の相浦(あいのうら)…他にいくらもあるだろうが、もっと遠くではポルトガルのポルトに、これに似た風景があることが思い出される。

一台の車出てゆく明易し

季題「明易し」で夏。「短夜」「夏の朝」とも。
車「出てくる」でなく「出てゆく」ってどういうことなのかとしばらく考える。「出てゆく」というからには、詠み手は、車の出発点側にいることになる。それはどんな場所か。例えば、ビルの何階かの窓辺にいて、その同じビルの地下駐車場から出てゆく車を見ているとか。でもそれでは、徹夜で仕事をしたとでも考えないと「明易し」が生きてこない。考えた末に思いあたったのは、フェリーの寄港地ではないかと。自分はそのフェリーに乗っていて、引き続き航海を続けるのだけど、早朝に寄港した小さな港で、フェリーの車両甲板から一台の車が岸壁に「出てゆく」のだ。一台出ていってそれで終わりであること、また早朝であることから、そこはそれほど大きな町でなく、むしろ離島をめぐる航路なんかが想像される。岸壁へ出ていく車、フェリーの車両甲板、上でそれを見ている自分、さらには港と船とを俯瞰している誰か、という場所の切り取り方の手腕が、「短夜」という季題に新たな詩情をもたらしている。

それぞれの高さに浮かぶ秋の雲

「それぞれの高さ」にしびれる。文字通り、形の異なるいくつもの雲が「それぞれの高さ」に浮かび、その奥には秋の色をした青空がある。春は空全体がぼんやり霞んでいるし、夏の雲にはもっと野性味がある。冬は、天気がよければ太平洋側で澄み切った青空になるけれど、風が強いから、それぞれの高さに「浮か」んではいない。理屈に陥ることなく、秋の雲の秋の雲らしさを言い切った名句だと思う。

この視点では他にも

 春嵐いろんなものが落ちてをり
 待ち合はす列車のライト春の雪
 春潮の底へと伸びてゆくロープ
 隣り合ふ通用門や柿若葉
 棕櫚咲いて売地に影を落としけり
 白芙蓉山門近き駅に下り
 道よりも低き山門秋の風
 上空に風ある空の木の葉かな
 しぐれ雲但馬の空を塞ぎたる
 欠航とあり短日の乗船場

などの句が印象に残った。

ベルリンの壁とロストロポーヴィチ [音楽]

きょう2014年11月9日は、ベルリンの壁(に設けられた検問所)が開放されてからちょうど25年にあたる。

バックパッカーとして鉄のカーテンの東側をうろうろしていた学生時代には、そこに住む人々からいろいろな話を聞き、さまざまなことを感じもしたのだけれど、当時、そうした障壁は半永久的なものと感じられ、自分が生きているうちにベルリンの壁がなくなるとは思ってもみなかった。だから、それから10年もしないうちにこのニュースを聞いて、心底驚いたし、自分がきのう・きょうの延長線上でしか明日を考えられない人間であることを痛感した。

閑話休題。
ベルリンの壁が開放された直後、ロストロポーヴィチが壁の前でバッハの無伴奏組曲を演奏したエピソードは音楽愛好家のあいだでは有名だが、最近ずっと気になっているのは、彼が壁の前で何を演奏したのかということだ。
「第2番のサラバンドじゃないの?」と言われそうで、実際その動画も残されているのだけれど、最近インタビューを読んでいたら、次のように話していることに気付いた。
(以下引用)

When in 1989 I saw on television that the Berlin Wall was being torn down, I took the first plane to go play there. When the taxi left us out in front of the ex-Berlin Wall, I realized that I needed a chair. I went to knock on the door of a house, and someone recognized me. Within 10 minutes, there was a little crowd, and a television crew came passing by. I played the most joyous Bach Suites for solo cello in order to celebrate the event. But I could not forget all those who had lost their lives on this wall in trying to cross over it. Hence, I played the Sarabande of Bach's 2nd Suite in their memory, and I noticed a young man crying.

(以上引用元:SIX FRENCH INTERVIEWS WITH MSTISLAV ROSTROPOVICH November 2005 to November 2006 Translated by David Abrams with the assistance of French Cellist Caroline Vincent)

ということで、most joyous Bach Suitesって、何番の何を弾いたのだろうかと。
個人的には第6番のガヴォットかサラバンドを希望。

(11.12追記)
第3番のブーレではないかとのこと。




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