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乙川優三郎「ロゴスの市」(徳間書店、2015) [本と雑誌]

ロゴスの市.jpg

前作「脊梁山脈」では、骨太な物語に感心しつつも、サイドストーリーの分量の多さにやや集中力をそがれてしまったのだけど、これは誰かに紹介せずにはいられない、すばらしい作品。

仕事であれ私用であれ、外国語や知らない事物に立ち向かう人が感じるであろう感覚が、丁寧に描かれる。その感覚とは例えば、「目の前の海は美しく、泳いだら楽しそうだが、同時に恐ろしく深く、背がたたないどころか、どこに底があるのかもわからない」というような、畏れにも似た感覚である。そこで、これを乗り越えるべく、二人は「寝食を忘れて没頭する」のだが、その苦闘ぶり、それもカネや立身出世のためでなく、ただもうその「外国語」という相手に立ち向かうこと自体に没頭しているさまは、何やら適塾時代を描いた「福翁自伝」を連想させ、すばらしい。付言すれば、当節「自分の知らないことはとるに足らないこと、知る必要のないことであり、従って自分は何もかもわかっているのだ」と割り切ってしまえる人々が花盛りな状況への異議申し立てとしても、まことに共感できる。Scio me nihil scire.

第二に、知力の限りを尽くして長年にわたる戦いに挑んでいるその人自身が、ひとたび机を離れれば自分のような世俗の凡人と変わらぬ懊悩にさいなまれ、周章狼狽したりだらしなくなったりするさまが、親近感を誘う。

第三に、ことばの奥の深さともいうべきか、翻訳者や通訳のみならず、その源にある著者や話者自身でさえも「書籍として固定された、あるいは発言として記録された、その表現がすべてだとは思っていない」というメッセージに感じられることが奥深い。本書にも登場するジュンパ・ラヒリが、母語による著述であれだけの成果を収めたにもかかわらず、その後母語以外での活動に進んでいったことなども連想される。

また、これは前作にも通じるが、地味な情景描写の巧みさや、句点でも読点でもない「、」の使い方など、地の文がたいへん巧みで、間然とするところがない。手元に置いて何度も読み返したい一冊。

 
  

番町句会(4/8) [俳句]

(選句用紙から)

騎馬像の下にテントや花案内
季題「花(花案内)」で春。騎馬像があるような場所といったら、まず公園しか思いつかないわけで、公園の入口近く、騎馬像の下にテントが仮設されていて、そこで公園のあちこちにこんな桜の木が植わっているなどと案内してくれる。人出とか花見とかいちいち言わずに、公園の花案内、で済ませてそれで読者にも判るあたりが周到。

庭仕事もあるにはありて朝寝かな
季題「朝寝」で春。「あるにはありて」がいいですね。あるにはあるのだけど、やってもやらなくてもいい感じが漂っている。もっと差し迫った何かー示談交渉とか、災害復旧工事とかーだったら、「あるにはありて」にならないわけで。で、真夏や真冬じゃないので、その庭仕事をやるにもいい季節なのだけど、という緩い感じが朝寝のぐだぐだした感じとうまくシンクロしていい感じ。

(句帳から)

あれもこれも了へたつもりの朝寝かな
花屑や看板にはりついたまま

第94回深夜句会(2/25) [俳句]

順番を間違えて、第95回の記録をさきにアップしてしまった。あわてて第94回の分を。

(選句用紙から)

でめきんの眼にやはらかく春の水

季題「春の水」で春。水槽に飼われた出目金の、その目にも、目のまわりの水にも等しく春の日が降り注いでいている。もともと水の中にあって大きく見えるのだけど、目の周りでゆらゆら揺れている水が、春の日をうけてことさらにやわらかく感じられる。こういう詩情はいいですね。

押し合うて横向くもある田螺かな

茶色とも黒ともつかない巻き貝であるタニシが、どこか狭いところにひしめき合っているさま(想像?)がまず面白いのだけど、その一部がはみ出して、横を向いたりしているのだろうか。そっぽを向いているような。

(句帳から)

屋根の色うつすら見ゆる春の雪
風をはらむビニールシート春寒し

貨幣の時間的価値(3.28追記あり/4.11再追記あり) [皿回し]

退職給付会計や資産除去債務会計では、将来のキャッシュアウトを現在価値に引き直す際の割引率として、安全性の高い長期の債券の利回り、たとえば10年国債の利回りが使われる。

じゃあ、10年国債の利回りがマイナスになったら、割引率もマイナスになるのだろうか?

しかし、たとえ金融商品としての国債とか普通預金の利回り(口座管理手数料を含めた実質的利回りと考えてもよい)がマイナスになったとしても、そもそも、貨幣の時間的価値がマイナスになることってあり得るのだろうか?だって、目の前に現金で積み上げておけば、何年経っても1万円は1万円なわけでしょ。
そうすると、将来キャッシュアウトの現在価値が当該キャッシュアウトより大きくなる(=貨幣の時間的価値がマイナスになる)ことって、原理的になさそうな気がするのだけど。誰か教えてジェネラル!


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(3.28追記)
…なんて書いていたら、25日の日経17面にとんでもない記事が。
(以下引用)
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マイナス金利という異例の事態は会計基準そのものにも対応を迫る。「金利がプラス」が前提だった割引率はこれまで将来の債務を現在の価値に引き直すものだった。仮にマイナス金利を適用すれば「足し戻し」が生じ退職給付債務は増える方向に働く。
日本の会計基準をつくる企業会計基準委員会(ASBJABSJ)は9日、「ゼロ、マイナスの割引率をいずれも認める」という暫定的な結論を示した。委員からは「長期国債の利回りがマイナスなのに割引率をゼロとするのはどうか」との意見も出された。
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(引用おわり)

マイナスの割引率…orz
長期国債の利回りがマイナスなのはわかったが、それでどうして貨幣の時間的価値がマイナスになるんだとこの委員を小一時間。

※期待運用収益率の話を書いているのではありません。あくまで割引率の話です。念のため。

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(4.11追記)
公益財団法人財務会計基準機構(FASF)のウェブページで、3月9日の委員会議事概要を読む。
この日の審議事項は9点あって、そのうちの4番目が「マイナス金利に関する会計上の論点への対応について」だったとのこと。議事概要には、「審議の結果、マイナス金利に関連する会計上の論点のうち、退職給付債務の計算における割引率に関する論点について、当委員会における議論の内容を周知するために、別紙を議事に残すこととした。」とある。

そこでその「別紙」を読むと、「そのままマイナスで」とする意見5点と「ゼロが下限でしょ」とする意見3点が具体的にあげられている。これを探していたのです。以下順に紹介しながら、コメントを加えたい(青字が「議事概要別紙」からの引用部分)。

〔マイナスの利回りをそのまま用いる論拠としてあげられた意見5点〕
(1) 現行基準では、平成20年度好評の企業会計基準第19号「『退職給付に係る会計基準』の一部改正(その3)において、一定期間の利回りの変動を考慮して割引率を決定することができるとする取扱いを排除し、期末における市場利回りを基礎として決定される割引率を用いることとしており、その趣旨を踏まえると、マイナスであっても期末における利回りをそのまま用いるべきである。
これは一理ある。皿回しの世界では、おおざっぱに言うと、見積りによる恣意性を排除して、だれがやっても同じ結果になるようにルールを改めていく趨勢にある。そうした経緯から、割引率についても時代の経過とともに見積りの余地が小さくなり、期末における長期国債の利回りを基礎として、いわば「機械的に」あてはめるように改められてきたわけだ。だから、それがマイナスになったからどうだというのさ、というのは一定の見識だ思う。
しかしこの意見は、国債の利回りは対等な立場の市場参加者が自由意思で合意した結果であることを前提としているわけだけど、現在の国債市場ってそうなってないわけですよね。マイナス金利は、自然な取引というより極端な金融政策の結果なのだから、それを「機械的に」あてはめるのは、方法論は正しくても前提が間違っていると思う。
(2) 退職給付債務の計算における割引率について国債の利回りを用いる場合、当該割引率は、基本的には貨幣の時間価値を反映するものと考えられ、プラスの利回りとマイナスの利回りで区別する理由がない。
これはわかったようなわからないような意見。国債の利回りは、それがプラスであれマイナスであれ貨幣の時間的価値を表現するものだ、ということなのだけど、それがプラスである間は、貨幣の時間的価値の指標として、他の指標よりも客観的で優れたものとして採用される理由になることはわかる。しかし、それがマイナスになったとき、そもそも貨幣の時間的価値がマイナスになりうるのかという根源的な問いを発することなく、「プラスとマイナスで区別する理由がない」と言い切っていいのか。
頭の体操として、貨幣の時間的価値がマイナスであるような世界を想像してみると、それは「現金であろうが預貯金であろうが債権であろうが、およそすべての資産が、時間の経過とともにその額面を減じていく世界」になると思うのだけど、それって非現実的というかSFの世界ではないのですか。
(3) 退職給付債務は、期末における要支給額を計算するのではなく、退職給付見込額のうち期末までに発生していると認められる額を割り引いて計算したものであるため、期末において支給すべき金額以上の額が退職給付債務として測定されることもある。
退職給付債務の額は一種の「モデル」なのでそのモデルに使う指標がマイナスになるのなら、結果的にそのモデルが現実の額を上回るのはかまわないという考え方。これも一理あります。そもそも最初の退職給付の見積り自体、昇給率や退職率にもとづく一種のモデルなわけで。しかし、「モデル」だからという理由で割引率をマイナスにしたら、債務の見積額は当然膨れ上がるし、もし差異を即時償却するとしたら包括利益が乱高下することになるのだけど、それは財務諸表の有用性を損なうのではないですかね。いや包括利益というのはもともとそういう性質のものなのだ、と言われそうだけど。
(4) 退職給付適用指針第24項では、「割引率は、退職給付支払ごとの支払見込期間を反映するものでなければならない。」とされており、割引率の決定の基礎となる国際の利回りについて一定の期間以下の利回りのみがマイナスとなる場合に、マイナス部分のみをゼロに補正することには合理性がない。
すでに10年までマイナスになっていますが、もっと長期のものを含めて全期間がマイナスになってしまったら、どうするのでしょうか。マイナスの度合いに応じて「割増率」を決めるのでしょうか。
(5) 退職給付債務の計算に用いる割引率は、必ずしも年金資産の収益率を反映するものではないが、年金資産の期末における公正な評価額には、通常、マイナス金利の影響が反映されると考えられるため、仮に退職給付債務の計算においてゼロを下限として補正した割引率を用いると、資産と負債の測定について整合しなくなる可能性がある。
確かに、実際に国債で運用するかどうかにかかわらず、期待運用収益率は、たとえマイナスにならないとしても、マイナス金利の影響が反映されているでしょう。だから、割引率についてマイナス金利の影響をすべて排除するのはおかしいという考え方はわかります。ただ、いま問題になっているのはゼロを割り込むかどうかであり、期待運用収益率だってゼロを割り込んで設定するとは思えないのだから、割引率だってゼロを割り込まないと考えてもいいのではないかなあ。

〔これに対して、ゼロが下限でしょとする論拠としてあげられた意見3点。〕
(1) 年金資産の運用において、運用する金融資産の利回りがマイナスになった場合、現金を保有し続けるか、利回りがプラスの他の金融資産で運用することになる可能性がある。このため、企業が従業員に支給する退職給付の額以上の債務を認識する必要はない。
ほんまそれ。なんで債務として見積もった額をさらに割り増ししないといけないのか。
(2) 将来キャッシュフローを「割り引く」計算において、マイナスの利回りを用いると「割り増す」ことになり、直観に反して違和感がある。
せんじつめて言えば、この点に尽きると思う。この発言をされた方は、うまく理屈を説明できなかったのだと思うし、自分もそうなのだけど、将来キャッシュフローを「割り増す」って一体何なんだよという違和感。
(3) システム上、マイナスの利回りを基礎とする割引率を用いて退職給付債務を計算するように設計されていない可能性がある。
これは想像もしていなかった論拠。あまり本質的な論拠にはなりえないのだろうけど、実務的には大事な点かと。もう少し言うと、「マイナスの利回りを基礎とする割引率を用いて退職給付債務を計算するように設計されていない」のはなぜなのか、という点を考えてみればよいのではないか。システム設計者は、単にいまプラスの利回りだからそういう設計をしたのではなく、割引率がマイナスって原理的にありえないと考えたからそういう設計をしたのではないかと。

それで結局、こうした両論がある中で、委員会としての結論はどうなったのかということだけど、結論としては、「マイナスとなっている利回りをそのまま利用する方法とゼロを下限とする方法のいずれの方法を用いても、現時点では妨げられないものと考えられる。」ってこれはまた肩すかしを…

いゃでもよく読むと、「マイナスの利回りをそのまま用いる論拠の方が、現行の会計基準に関する過去の検討における趣旨とより整合的だけど、十分な議論が必要なのですぐには決められないし、諸外国でもまだ取扱いが示されていないし、既にゼロを下限として決算整理に入っている企業もあるので、とりあえず両方アリにしておく」みたいなことが書いてある。過去の検討における趣旨とより整合的って…うーむ。論拠(1)ですね。この委員会は、過去の検討の趣旨との整合性を最も重要なことと考えているのかなあ。疑問。








いいにほひ [雑感]

oxford.jpg

おろしたての綿のドレスシャツ(俗にいうワイシャツ)って、いいにおいがしますね。それも、ブロード地よりもオックスフォード地の柔らかくてざっくりした(つまり、番手の小さい綿糸で織られた)生地なんかが最高。
このにおい、クリーニングに出しても再現しないので、もともとのコットンの生地のにおいなんだろうか?
柔軟剤を使えばこういうにおいが再現するなら、その柔軟剤を買ってきて一も二もなく使うのだけど。

  
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