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びわ湖100キロ歩行大会敗退記(②当日編) [雑感]

〔当日編〕

・スタート地点の長浜市豊公園は雨。何人ぐらい出場するのだろう。受付でもらったゼッケンは「A4の紙」だった。去年までは「黄色のビブに番号を印刷したゼッケン」だったので、ビブをもらえると勝手に思い込んでいたのだけど、紙と安全ピンを手渡されて当惑。雨合羽の上から安全ピンで止めたら、生地に穴があいてしまうが…考えた末、バックパックのチェストハーネスに固定すればいいことに気づく。

・午前8時半ごろ雨があがり、開会式と写真撮影のあと9時スタート。最初の5kmは、1キロ11分を切るハイペースで通過。このペースで最後までもつのか?

・9.3kmあたりから雨が降りはじめる。ここから先、最後までずっと雨だった。

・15kmのすこし手前、倉庫か事務所かの大きな庇の下に立ち止まり、バックパックからトレッキングポールを取り出す。人で混み合うスタート直後は避けて途中から使おうと考えていたのだが、実際にはスタート直後でもそれほど詰っておらず、それなら最初から手に持っていたほうがよかったかも。

・18.3km 右足内くるぶしが靴に当たって痛いので、靴紐を緩めるためのベンチを探す…が、みつからないのでコンビニの軒先の石に座って緩める。隣で休んでいる選手と買物客が「何時にスタートしたの?」「どこまで歩くの?」と会話を交わしているのをぼんやり聞きながら、まだ3時間ちょっとしか経ってないのか…と考える

・20km ほぼ同じペースで2mぐらい後ろをついてくる女性がひとり。風はそれほど強くないが、2時の方向、びわ湖から吹いている。風除けとして、この痩躯がお役に立てているのだろうか…

・25km 右側にびわ湖の汀が続く美しい景色だが、それを楽しむ余裕はない。風が弱いのが不幸中の幸い。靴の中に水がしみはじめていることに気づく。どこかでベンチを見つけて、ソックスを替えよう。

・27km さきほどの女性に先行してもらい、道路沿いの公園のあずまやに腰掛けてソックスを交換する。しかし2キロも歩かないうちに再びしみはじめ、30km手前で靴の中全体がぐしゃぐしゃになってしまう。この時点で、完走は無理と判断する(ソックスの替えはたくさんあるが、靴の替えがない)。ミニようかんの包装も、雨でふやけてしまっている(中身はアルミ箔のパックなので問題ない)。

・32km 第1チェックポイント。午後3時より前に着けるかな?遠くにファミリーマートの看板が見えてくるが、なかなか近づいてこない。やっとたどりつくと、コンビニの駐車場にいくつものテントが張られ、オレンジ色のジャケットを着たスタッフと着ぐるみ(←雨の中で大変そう)が迎えてくれる。ゼッケンの隅に印刷されているQRコードをスタッフがスキャナーで読み取ると、それが記録化されるというハイテク。スタートから6時間弱、14時58分51秒に到達。想定ペース(a)でも15時24分到着だったので、それより25分あまりも早い到着。ちょっと飛ばしすぎか。
ここでリタイアしようかとも考えたが、荷物は第2チェックポイントに置いてあって、そこまで車で運んでもらうのも大変なので、このまま歩き続けることにする。

食事をいただく。バナナ(とてもおいしい)にマジックで「もう3分の1まで来ました。すごい!」と書いてあって、確かに3分の1歩いたのだね…と気づく。ほかに地元産のお饅頭とウエハースをいただき、いずれも一気に食べてしまう。ビバ炭水化物。

・じっとしていると足が痛くなるので、早々に雨の中を出発。前にも後ろにもほとんど人がいない。

・35km こんどは女性(先刻とは別の女性)の後ろについて、ほぼ同じスピードで歩く形になる。歩道が狭いので、遠慮されて「先に行かれますか?」と尋ねられるが、「ほぼ同じスピードなので、このまま行かせてください」とお願いする。そうこうするうち38km地点を通過したので、「次のチェックポイントまで、あと15kmですね…」などと話す。やがて少しずつこちらが先行し、振り向いても姿が見えなくなる。

・40km 歩道の幅いっぱいの深い水溜りがつぎつぎに現れる。最初のうちは道路脇の草むらを歩いていたが、それも疲れるので、水溜りの端を選んで歩くようにしたが、ずぼっと水にはまってしまう箇所がところどころにあり、いっそう靴が水浸しになる。靴の中で足がふやけていくのが感じられる。最悪。

・41.5km エイドステーションでおにぎり2個と豚汁をいただく。おいしい。薄暗くなってきたので、ここからヘッドランプを点灯する。このあたりから、道路脇の人家や商店がなくなってくる。今のペースでいくと第2チェックポイントに何時ごろ到着するか、頭の中で計算を繰り返しながら歩く。

・43km 第2チェックポイントまであと10km。心の中で「あと11km、あと10km…」とカウントダウンしながら必死で歩く(ペースはあまり落ちていない)。きょうの日没は17時14分で、あっという間に道路は真っ暗になる。街路灯がないので、ヘッドランプで歩道の水溜りを見分けながら歩くという苦行。車道を歩けば水溜りは避けられるのだけど、これは危険(実際、クラクションを鳴らされる)。

・46.6km 雨と暗闇の中にローソンの灯火が現れる。入り口にオレンジ色のスタッフが1人立って、道行く選手を応援している。たいそう心強く感じる。沿道のところどころに気温が表示されているが、どの表示もずっと17度で、上がりも下がりもしない(まさか故障しているわけではあるまい)。これはむしろ助かる。

・51km 長い橋を渡る。真っ暗であることに加え、高さがあってけっこう怖い。あと2キロ、あと2キロ…と念仏のように唱えながら歩く。自分の吐いた息が白い湯気になって自分に向かってくる。

・53km 無人の信号の先に、突然チェックポイントのテント群が見えてくる。スタッフが元気よく出迎えてくれる。いま18時58分だから、10時間を切っている。テントに入るとゼッケンのQRコードを読み取るかわりに番号札を渡してくださるので「?」と思うが、チェックポイント自体が19時オープンというので納得。19時とともに番号札の順に呼び出され、コードを読み取ってくれる。公式計時は19時03分02秒だから、タイムは10時間03分02秒となる。想定ペース(a)では19時36分と計算していたので、それより30分以上も早い。
スタッフのみなさんが、名前入りの応援メッセージカードを「お守りです!」と手渡してくださる。大変ありがたい。

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番号札の数字=現時点の順位(暫定順位)は27位と意外な好成績なので、このまま歩き続けようかとも思ったが、これより先でリタイアすると、荷物がゴール地点に運ばれているので、朝までどこかで待機した上に自力でゴールへ行って荷物を回収しなければならず大変だ。やはりここで荷物を受け取ってリタイアすることを決め、大会本部に申告する。これにて敗退。

・荷物を抱えて近くのバス停から路線バスに乗り、JRの最寄駅まで15分ぐらい放心。駅に着いて座席から立ち上がろうとしたら、足が痛くて立ち上がれない。やはり体を動かし続けていないとだめなのだろう。そこから先は全部エレベーターとエスカレーターを頼りに、新幹線のホームまでたどり着く。車内で筋肉痛が爆発。

(余談。バスの中から外を見ていたら、第2チェックポイントから1キロぐらい(54km地点あたり)のところに大きなショッピングセンターがあって(これは事前にわかっていた)、その外壁に「LOGOS」というアウトドアショップの大きな緑色のネオンサインが光っていた。リタイアせずにこの店まで歩いていって新しいゴム長靴を買い、足を乾かしてからその靴で歩きつづけることができたかもしれない。とはいうものの、買ったばかりの靴でいきなり46kmも歩く(しかも、今まで履いていた靴を背負って)のは、酔狂の度が過ぎるというものだろう。)

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びわ湖100キロ歩行大会敗退記(①事前準備編) [雑感]

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(上の画像は大会公式ホームページから引用)

10月21-22日に滋賀県で開催された、この「びわ湖チャリティー100km歩行大会」に出場したが、53km地点であえなくリタイア。以下、来年に向けた反省と備忘録を兼ねて、この大会について感じたことを。

〔事前準備編〕

・100キロウォークの大会は数多くあるが、
 ①制限時間がキツくない(30時間30分(ちなみに、24時間制限の大会が多い))
 ②ルートがほぼ平坦
 ③中間地点(53km)で荷物の入れ替えが可能(預けた荷物をピックアップして、着替えや補給ができる)
 ④開催時期が暑くも寒くもない
 ⑤沿道の景色がよさそう
と好条件が揃ったこの大会が楽しそうと判断。ちなみに1週間後に開催される三河湾100kmチャリティー大会も①②④⑤は同じなのだが、③が決め手になって、この大会を選ぶ。

・事前に送付されたルートマップを熟読し、
  (a) 1kmを12分(時速5km)
  (b) 1kmを13分20秒(時速4.5km)
  (c) 1kmを15分(時速4km)
の3パターンで、どの地点を何時に通過するかをシミュレーション。どのパターンでも制限時間内にゴールに到着できるが、トレーニング時の記録から考えて、(a)のペースで最後まで歩くのは自分には難しそうなので、
 ●第1チェックポイント(32km地点)までは(a)のペースを目標に、
 ●そこから先は、(b)を目標としつつ、(c)を下回らない程度のスピードで
歩き続けることにする。この場合、(a)+(c)の合計タイムは21時間31分なので、午前6時30分ごろゴールする計算になる(スタートは午前9時)が、休憩や信号待ちなどのロスタイムを10キロにつき10分ずつ計100分見込むと、以上の合計は23時間11分で午前8時10分ごろゴールできればいいという皮算用。

・1週間前に発表された週間天気予報では土曜・日曜とも晴れ。喜んだのもつかの間、16日(わずか5日前!)に発生した台風21号が日本列島に近づくにつれて、どんどん曇り→雨に予報が変わってゆく。全行程雨がほぼ確実となったのが2日前。がっかり。

・行動食は、六甲縦走と同じくミニようかんとカステラボールを10個ずつ。5kmごとにようかんとカステラを交互に食べていくと、20個合計でおよそ3400kcalの補給が可能な計算。これにルート上のエイドステーションでいただく食物を足して、だいたい4000kcalぐらい食べることになるが…

・ハイドレーションは1.5リットルのソフトパックを用意し、第2チェックポイントで補充することで前後半あわせて3リットルを給水するほか、不足分は沿道の自販機やコンビニで調達する計画。

・バックパックは10リットルのトレラン用を使う。ハイドレーションの他は、替えのソックスとソフトシェルジャケットだけを収容。雨だとザックカバーをかけるから、頻繁に開け閉めできないので、ショルダーハーネスにポケットを2つくくりつけ、ここに財布とiPhoneを収容する。ウエストベルトのポケットには行動食とレジ袋(ゴミ袋)を入れる。

・前日の予報で、全行程雨、それも強い雨(時間あたり5ミリとか6ミリとか)と判明し、気分が盛り下がる。ふだん使うウォーキング用の靴をやめて、雨用の靴1足とソックス多数を持参することにする。しかしこの靴、5年前にCoast to Coastで使った靴で、かなり時間がたっているので耐水性に不安があるのと、この(重い)靴で全然トレーニングしていないのが不安。

・iPhoneのアプリケーション「Geographica」を購入し、歩行のログをとることにする。歩行中は国土地理院の1:25000地図に現在位置を表示してくれ、歩行後には平均速度、最高速度、累積高低差などを表示してくれる優れたアプリケーションで、前作「DIY GPS」では自分の歩くルートの2万5千図をスキャナーで読み込み、iPhoneに保存しておく必要があったところ、あらかじめwebで読み込んでキャッシュしてくれるのですごく準備が楽になった。

・前日の新幹線で米原経由長浜へ。この日は概ねいい天気で、開催がもう1日早ければと残念。

  
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宗教改革がわかる20冊 [本と雑誌]

きょう10月31日は、「宗教改革500周年」の記念日なのだそうで、キリスト教出版販売協会(そういう団体があるのですね)から発表された「これだけは読んでおきたい・宗教改革がわかる20冊」というリストが面白い。
しかしこのリスト、発表元のプレスリリースにリンクを張っておくべきところなのだけど、検索しても見つけることができないので、ご紹介くださっている方のツィッターに張らせていただいた。下の文字は画面を見て手で入力しているので、間違いがあったらごめんなさい。

ちなみに、1冊も読んだことないのですが(汗)

【初級】
「まんが キリスト教の歴史」(樋口雅一作・絵、いのちのことば社、2008)
「学研まんが NEW世界の歴史6 ルネサンスと大航海時代」(南房秀久原作・城爪草絵、学研プラス、2016)
「図説 宗教改革」(フクロウの本)(森田安一、河出書房新社、2010)
「マルティン・ルター―ことばに生きた改革者」(岩波新書)(徳善義和、岩波書店、2012)
「聖公会が大切にしてきたもの」(西原廉太、教文館、2016)

【中級】
「はじめての宗教改革」(G.S.サンシャイン/出村彰・出村伸訳、教文館、2015)
「プロテスタンティズム―宗教改革から現代政治まで」(中公新書)(深井智朗、中央公論新社、2017)
「プロテスタンティズム―その歴史と現状」(F.W.グラーフ/野崎卓道訳、教文館、2008)
「イースター・ブック―改革者の言葉と木版画で読むキリストの生涯」(マルティン・ルター/R.ベイントン編/中村妙子訳、新教出版社、1983)
「ルター自伝」(マルティン・ルター/藤田孫太郎編訳、新教出版社、2017)
「ルターから今を考える―宗教改革-500年の記憶と想起」(小田部進一、日本キリスト教団出版局、2016)
「ルターのりんごの木―格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ」(M.シュレーマン/棟居洋訳、教文館、2015)
「キリスト者の自由―訳と注解」(マルティン・ルター/徳善義和訳、教文館、2011)
「マルチン・ルター―原典による信仰と思想」(徳善義和、リトン、2004)

【上級】
「牧会者カルヴァン―教えと祈りと励ましの言葉」(J.カルヴァン/E.A.マッキー編/出村彰訳、新教出版社、2009)
「ジャン・カルヴァンの生涯(上・下)―西洋文化はいかにして作られたか」(A.E.マクグラス/芳賀力訳、キリスト新聞社、2009・2010)
「宗教改革の物語―近代・民族・国家の起源」(佐藤優、角川書店、2014)
「総説キリスト教史2 宗教改革編」(新井献・出村彰監修、日本キリスト教団出版局、2006)
「プロテスタント思想文化史―16世紀から21世紀まで」(A.E.マクグラス/佐柳文男訳、教文館、2009)
「カルヴァン 歴史を生きた改革者―1509-1564」(B.コットレ/出村彰訳、新教出版社、2008)

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第112回深夜句会(9/28) [俳句]

急に寒くなる。秋の雨も降っている。

(選句用紙から)

秋の日のゴミか何かの白きもの

人によっては「ゴミか何かの」が口語的に過ぎると感じられるだろうけれども、この措辞は、あえて何であるかを特定しないまま「白きもの」とだけ言っておいて、それが秋の日の庭先だか道端だかに落ちている、という面白さにある。秋だから白、というだけでは単なるお約束なのだけど、この句では、なんだかわからないその白いものが、秋の色として提示されている。芭蕉が「石山の石より白し秋の風」(秋)、「海暮れて鴨の声ほのかに白し」(冬)のように風や声に色を見出したのとは違った面白さ。

かなかなの爪先立つてゐるやうな

ひぐらし(かなかな)の姿を詠んでいるようにも、また鳴き声を詠んでいるようにも感じられる。後者なら、ひとしきり鳴いて、デクレシェンドかつリタルダンドして鳴きやむ感じを「爪先立って」と叙したものだろう。

(句帳から)

落し水鳥海山に羊雲
実のやうなものこぼれ落ち葉鶏頭
来ては去りまた来ては去る小鳥かな
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エリザベス・ストラウト『オリーヴ・キタリッジの生活』(小川高義訳、ハヤカワepi文庫) [本と雑誌]

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初めて読む作者なのだけれど、こういう心理描写があるのですね。見た目には大した事件も起こらないメイン州の田舎町の、1人の女性の周囲にこのような善意・悪意・怒り・嫉妬・愛情・無関心etc.が渦巻いている。それらの一つ一つが、いかにも納得させられるものでもある。読み進めるうちに、この女性(だけ)が特異なのではなく、どんな人の周囲にも、程度の差はあれ同様のことがあるのではと感じさせる。

繊細なようでもあり無神経のようでもあり、臆病にも傲慢にも受けとれるように描かれているため、単純な共感とか反発ができないところは、ちょっと三浦しをんに通じるものがあるかもしれない。

また、こういう作品を高く評価する(ピューリッツァー賞)アメリカのフトコロの深さも同時に感じさせる。日本語では他に『バージェス家の出来事』と『私の名前はルーシー・バートン』の2作品(いずれも小川高義訳、早川書房)しか読めないのが残念。

 


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第111回深夜句会(8/24) [俳句]

そう広くはない喫茶店で、句会のためにテーブルを占拠するのだけど、人数によってはテーブルの確保がたいへん。まあでも忙しい勤め人のための句会なので、みなさんギリギリで会社を抜け出してくるわけだから、2人しか来ないこともあれば10人来られる時もあるのは当然のなりゆきで、お店を貸しきらないかぎり根本的な対策にはならない。

(選句用紙から)

油彩画の光を止め丸茄子

茄子がいちめんにつやつやしている感じを「油彩画の光」と序したところがこの句の手柄。油彩画の光って具体的にはどんな感じなのかと尋ねられると(油絵具をいじったことがないので)ちゃんと説明できないのだけど、厚塗りの紫色の絵の具の表面がテカッているような感じか。確かに、あのテカテカを見ていると、野菜というよりなにかの人工物のように見える。

カフェあるといふ此の霧の森の奥

季題「霧」で秋。道の奥でなく「森の奥」といっているので、森の奥につづく細い道があって、そこを歩いていくとカフェがあるのだそうだ、さてそのカフェはどんなカフェなのだろう(お客も食材も、この細い道を通って徒歩で運ばれるのだろう)ということになる。もちろんいま立っている森の入り口からは、カフェは見えない。シューマンの「森の情景」のような一句。

(句帳から)

クレーンのゆつくり動く残暑かな
掃苔や遺恨といふにあらざれど
割箸の脚の不揃ひ瓜の馬
夕さればかなかなかなと裏の木戸

  
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本試験 [皿回し]

またやってきたこの季節。
がんばれ受験生!

ことしの東京会場は、早稲田大学と東京外国語大学。
エアコンは効いているのだろうか…

 

 
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第110回深夜句会(7/13) [俳句]

(選句用紙から)

重さうな車掌の鞄朝曇

季題「朝曇」で夏。通学の鞄とか通勤の鞄って色も形も大きさもさまざまだが、しかし中に何を入れるかは、持ち運ぶ人に委ねられているのが普通だろう。しかし車掌の鞄は、あれは業務上必要なもの(マニュアルとか、非常時の装備品とか)が必要な範囲で詰め込まれているはずで、まさかあの中に文庫本とかペットボトルは入ってはいないだろう。乗務している限りそれを携帯しなければならないというのは、お仕事とはいえ、この夏の暑さのなかではたいへんなことで、それが「朝曇」という季題をよく言い表している。

感想戦で「重そうな」について質疑。「重さうな」だと外から車掌の鞄に視線が注がれていて、視線を注いでいる作者がやや前景化するのだけど、むしろ「重からん」として車掌の側から鞄を見るようにさせたらどうだろうかと。なるほど。私は「重たげに」を思いついた。

かたつぶり塵もろともに掃かれけり

季題「かたつむり」で夏。庭とか路地のようなところであろうか。竹箒で掃き掃除をしていたら、葉っぱとか小石とかに混じって、そこにいたかたつむりも根こそぎ掃き出してしまった。
これも感想戦で、「もろともに」について質疑。「もろともに」だと、掃き出している竹箒の動作が強調されてかたつむりが一句の中心にこないのに対して、「塵にまじりて」なら、掃き出されたもろもろのものごとの中に入り混じっているかたつむりの様子がよりよく描けるのではないかと。確かに「もろともに」は非常に強い言葉なので、一網打尽で大きな動きとして強調されることになるから、かたつむりへの視線を保つためには、一見地味に見える「塵にまじりて」が支持されるかもしれない。

こういう議論が交わせるためには、参加者の言語感覚がある一定以上に研ぎ澄まされていなければいけないわけで、たとえ自分はその最後尾にいるとしても、この句会はありがたい存在。

(句帳から)

大西日横断歩道てらてらと

 

ハーゲン弦楽四重奏団演奏会(6/30) [音楽]

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ハイドン/弦楽四重奏曲 第78番 変ロ長調 Op.76-4「日の出」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」 Op.95
シューベルト/弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」D.804

新装開店の武蔵野市民文化会館小ホールは、座席の幅も少し広くなったような気がして快適(気のせい?)。
前から2列目のど真ん中なので、演奏者が息を吸い込む音まで聞こえる。

ざっと見渡して、藪柑子より若いお客さんは5%、多く見積もってもせいぜい10%ぐらいしかいない。ハーゲンSQといえば弦楽四重奏の世界ではまず指折り数えられる存在だと思うし、弦楽器を弾く(あるいは、弦楽器を弾いて室内楽を楽しむ)若い人は東京にあまたいると思うのだけど、こんなものなのだろうか。

このぐらいのトッププロにとって、縦の線が合っているなどということはもう当り前なのだろうけど、それにしてもどうしてこれほどちゃんと合っているのかと。その一方で、エマーソンSQを聴いたときには、全体が一つの楽器のように聞こえたのだけど、このカルテットは、目を閉じて聴くと弦楽合奏、それも大規模な弦楽合奏のように聞こえるのですね。これは、最弱音から最大音までの幅の大きさと、あとは楽器の鳴り方によるものだと思うのだけど、控えめに意ってもなかなかできない経験。

ハイドンもベートーヴェンもよかったのだけど、演出控えめの「ロザムンデ」がすばらしい。こういう曲だと、分析とか解釈とか考える必要がないので、演奏者の音楽性がストレートに伝わってきて、しみじみと幸福感に浸れる。

アンコール:ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第16番Op.135~第1楽章

(2017.6.30 武蔵野市民文化会館)

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OS復活 [雑感]

日本路線から去年撤退したOS(オーストリア航空)が、来年5月からウィーン・成田間で運航を再開するとのこと。
去年の撤退劇の衝撃はまだ記憶に新しいし、各社の相対的な日本離れの構図自体は変わっていないのだろうが、そうした中にあってこれはささやかな朗報。

 

第109回深夜句会(6/22) [俳句]

深夜句会では、披講の前に参加者が自分の選句から一句評をするのだけど、それを聞いていると、その人が一句のどこを見ているかの視点に気づかされ、勉強になる。披講のあとの感想戦(?)もそれと同じで、ここはAでなくBのような表現がとれなかったか、Bを採ると一句として何がどう違ってくるか、といったことを俳人同士が話し合う機会ってあまりないので、たいへん貴重な機会。

(選句用紙から)

駅の端のカフェの端にて麦酒酌む

季題「麦酒」で夏。駅の「は」の、と読んでしまいそうだが、カフェの「はし」にて、と読むからには、駅の「はし」の、と字余りにするのだろう。大きな駅のはじっこにカフェがあって、そのまた端のほうの席に座って、おそらく一人で麦酒を飲んでいるという図。「駅の端のカフェ」って何だといわれそうだけど、欧州の大きなターミナル駅なんかで、あまり使われていないような場所にカフェがあるのはよく見かける風景。改札がないので、列車を利用する人だけでなく、そのへんを歩いている人がふらっと入ってコーヒーをぱっと飲んで出て行ったりするのだけど、外国出張かなにかでそんな店に入って、知り合いがいるわけもないので、端の席にぽつんと一人で飲んでいる感じはよく伝わる。
感想戦で、ここは「酌む」とすると一人なのか二人以上なのかぼやけてしまうので、「飲む」でいいんじゃないかと。なるほどそう思う。

緑蔭の道のいづこへ続くなる

季題「緑蔭」で夏。木下闇なんていうことばもあるが、木かげの薄くらがりに、踏みあとのような道がある(どのような道であるか明示されていないが、立派な舗装道路なら「どこへ続いているのか」という疑問も生じようがないので、立派な道ではないものとして読んだ)。続くともなく木かげを続いていくその道は、さてどこまで続いているのだろうか。公園の端までか、森を抜けて隣の村までか…「いづこへ続く」に詩情があるのだけど、下五を「かな」とせず、「なる<なり」(=○○であることよ)として、「いづこへ続く」にかぶせて終わらせるところが見事。
(?いま思いついたのだが、この「なる」は、「小諸なる古城のほとり」の「なる」と同様、存在の判断をあらわす「なる」で、「道」を修飾しているようにも読める。どちらなのだろう。)

(句帳から)

内側がひどく汚れて夏帽子
うすみどり色のジャケット着て素足

 

アリス・フェルネ『本を読むひと』(デュランテクスト冽子訳、新潮社、2016) [本と雑誌]

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こういう本を書くのはとても難しく、一歩間違えれば上から目線で「フランス万歳、フランス語万歳」的な啓蒙本になってしまいそうだけど、そこがそうならないのがこの本の奥深いところ。

思うに、この本の読みどころは三つある。

一つには、「どちらの側も、均一平板ではない」こと。「どちらの側」という対立の図式自体が適切かどうかわからないが、ジプシーも、それ以外の人々も、一人ひとりに考えがあり、決して均一ではないところがストーリーに立体感と納得性を与えている。たとえば野菜畑の所有者であった老教師の考えかた、キャンピングカーを出て定職につくヘレナの考えかたなどなど。

もう一つには、「どちらの側も、ある部分は変わり、ある部分は変わらない」こと。本を読んだり、学校に通ったりすることについては、どちらの側でも、しだいに事態がうつろい、これまでになかったようなことが起こっていく。他方で、ジプシーの生活の根底にあるものや、地域社会の行動原理のようなものは、良くも悪くも変わらない。

三つ目には、死をどのように描くかということ。
本書における死の描かれ方は、ものすごく目新しいものではないが、それが登場人物の物の考え方や行動様式と整合するように描かれているので、その人の人生の終わり方として、それが悲惨なものであっても、そうかもしれないなと思わせるものがある。

ちょうどフランス大統領選挙の時期にこの本を読み、フランスの社会が20年にわたるロングセラーとしてこの本を支持してきた理由を考えると、それは「そういう課題が存在する」ことを社会が認知しているからに他ならず、そしてこのような課題がはらむ緊張関係や拮抗する力―それは復元力につながる―こそが、フランスの力を構成するひとつの要素ではないかと感じられる。


第108回深夜句会(5/11) [俳句]

(選句用紙から)

夜濯の終了音やハイツM

季題「夜濯」で夏。もともとは、夏の日中の暑さを避けて、夜になってから洗濯をすることが季題として詠われる。洗濯機なら人がついていなくてもいいから、一日中いつでも回せるのだけど、それでも夜になっていくぶん涼しくなってから洗濯機を回しにかかるという風情はわかるというもの。
で、「終了音」なので全自動洗濯機の洗濯+脱水が終わってピーという音が響いているのだけど、それが聞こえるということは、この「ハイツM」の共用廊下だかベランダだかに、各住戸の入居者の洗濯機が並んでいる風景が想像されるのですね。もう少しいうと、洗濯機置き場は住戸の中にあるのが当節の主流なので、このハイツMは、学生向けの小さなアパートか、かなり古典的なアパートであることも想像され、その「ピー」は、隣の住戸にもその隣の住戸にも、聞こえているわけだ。

薄く濃く新茶の袋皆緑

季題「新茶」で夏。新茶じたいではなく、新茶を入れて売られているアルミ包装のような袋が、どれも「みな」緑色をしていた。それがどうしたのと言われそうだけど、パッケージを考えた葉茶屋さんが、いろいろ考えた末なのか、無造作にした選択なのか、新茶の緑色を選んでいることが面白い。

蝶々のふらついてゐてぶつからず

季題「蝶」で春。「ふらついてゐ」て、でも「ぶつから」ないのは、複数いる蝶々が相互にぶつからないのか、それとも蝶々がフェンスや柵にぶつからないのか定かでないが、蝶の独特な飛び方―予測不可能なあの飛び方―を、説明に陥ることなく、描けていると思う。

(句帳から)

花茨小学校の先に海
街薄暑三車線づつ渡り終へ



岩波文庫創刊90年記念「私の三冊」(『図書』臨時増刊) [本と雑誌]

古今東西の名著が母語で読めるのはとてもステキなことだと思うので、日本スゲー派のひとびとは、岩波書店の刊行物を(少なくとも岩波文庫を)もっと誇りに思ってもよさそうなものだけど。

いつもの通り、「各界を代表する皆さまに」アンケートをお願いしたもので、
今までに読んだ岩波文庫のうち、
・今日なお心に残る書物は何か あるいは
・ぜひとも他の人びとにも勧めたいと思われる書物は何か
三点を選び、あわせてそれぞれに短評を書き添えてほしいというもの。

読者としては「ああ、この人がこんな本を選んでいるのね」と楽しみに読むのだけど、「この人なら、そりゃ確かにこれを選ぶだろうね」という順当な(従って面白くない)選択もあれば、「えっ、この人がこんな本を推しているのか」という驚きの選択もある。

後者の例として、坪内祐三氏が『オーウェル評論集』を挙げていること。坪内氏が開高健を愛読していたら、その開高健がオーウェルのエッセイの素晴らしさについて語っていたので、それが日本語で読める日を待っていたと書かれているのだが、坪内祐三氏とオーウェルはどうにも結びつかないし、オーウェルの評論のかなりの部分は岩波文庫に収録される以前から日本語で出版されていたわけなので、この回答は何だかよくわからない。

選ばれた本のなかでは、自分だったら最初に挙げるであろう『自省録』を6人もの人が挙げていることが少し嬉しい。ちなみに宇野重規さん、清家篤さん、旦敬介さん、野崎歓さん、山口範雄さん、四方田犬彦さんの6人。

では、このアンケートのように3冊挙げよと言われると、上掲『自省録』以外の2冊は何になるのか、ちょっと迷う。
入りそうなものとしては、『アメリカのデモクラシー』『暗黒日記』『イギリス名詩選』『石橋湛山評論集』『イスラーム文化』『オーウェル評論集』『虚子五句集』『三酔人経綸問答』『ベートーヴェンの生涯』『福翁自伝』『森の生活』『闇の奥』『ロビンソン・クルーソー』『忘れられた日本人』あたりか。もっとも、『ロビンソン・クルーソー』は岩波文庫でなく、岩波少年文庫で読んだのだけど、結構難しかった記憶が。

3冊セットとしての選択がもっとも自分に近いものとしては、
片山善博さんの『生の短さについて』『石橋湛山評論集』『福翁自伝』
清家篤さんの『文明論之概略』『寺田寅彦随筆集』『自省録』
って、どちらも慶応義塾にご縁のある方ですな。

もっとも、回答者の多くは80周年や70周年のときにも同様のアンケートを求められていると思うのだけど、その際の答えと今回の答えがそんなに変わる性質のものとも思えないので、どうやって回答に新味を出そうとしているのか、それらを照らし合わせて読んでみたい気もする。

番町句会(4/14) [俳句]

締切時間を15分超過して会場に到着(移動中に遅参を連絡し、特段の思し召しで待っていただいている)し、会衆のみなさまが既に投句を終えて見守る中、兼題「春の蠅」に脊髄反射で必死に対応。将棋早指し選手権のようだ。

20170414.JPG

(選句用紙から)

遠くあり近くありして春の雲

これ、私なら「遠くなり近くなりして」とやってしまうことが確実。「遠くあり近くあり」って、一見何でもないようだけど、なかなかできない、すばらしい表現。雲が(または自分が)動いているのでなく、遠くにも近くにも雲があります、と言っているわけだ。比較的ゆっくり動いているか、ほぼ静止しているのだろう。このたゆたう感じが、まさに春の雲なのですね。もっとも、「凍雲」なんていう季題もあって、冬の雲もじっと動かないことがあるにはあるけれど。

どの川も富士の雪解や音高き

季題「雪解け」で春(早春)。富士の山麓では、4月でも雪解水がごうごうと流れているのだろう。どの川「も」ということは、大河に沿ってではなくて、小さな流れをいくつも越えて、等高線に沿うようにして裾野を歩いているのだろうか。


(句帳から)

ガラス戸の内側にゐる春の蠅
制服に手が生え足が生え四月
小径を麓へたどり春深し

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