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2018・第5回びわ100参加の記録③感想・分析編 [雑感]

〔全体総括〕
・2度目の挑戦で完歩できたことに、ほっとする。去年の第4回大会を53km(第2CP)でリタイアして以来、ずっともやもやしていた気分がすっきりした。80km(第4CP)以降は意識がぼんやりして、体力の限界に近かったような気がするが、そんな大げさなものではなく、単に眠かっただけかもしれない。

・完歩できた理由の第一は、大会サポーター(スタッフ)の皆さんの熱心かつ強力なご支援だと思う。チェックポイントやエイドステーションでの出場者への対応は、すばらしいものだった。オレンジ色のウインドブレーカーは、特に夜間には存在自体が励ましになった。大会運営の特色については後記。
理由の第二として、天候に恵まれたこと。具体的には、①2日間ともよく晴れ、雨がほとんど降らなかったために歩きやすく、かつ荷物が減らせたこと ②20日の強風が、当初予想の北西の風ではなく、北北西ないし北の風であったため、若干の追風効果があったこと ③21日朝の冷え込みがきつかったとはいえ、歩行に支障を生じるほどではなかったこと の3点。

・これに対して、後半の各地点での休憩が長すぎたことは、今回最大の失敗だった。長すぎる休憩は、それ自体がロスタイムになると同時に、体が冷えて歩行再開後のペースが上がらない原因ともなるわけで、もう少し上手にペース配分すれば(つまり、もう少しゆっくり歩く代わりに休憩時間を切りつめれば)22時間を切るのはむろんのこと、21時間を切ることも可能だったのではないかと思われる。歩き方についても後記。

〔大会運営について〕

・びわ100以外の100キロウォークに参加したことがないので比較することはできないが、この大会は、その理念において、すばらしい面があると思う。
具体的には、
(1) 一人でも多くの完歩者を出すために、制限時間を30時間と大幅に遅くしていること(これは運営上、非常に負担が大きいところ、あえてそうしていると思われ、その理念は大いに尊重されるべきと思う)。また、競技色を排除するために、チェックポイントの開設時間を遅くしていること。
事実、今大会でも午後2時台(28時間台)と午後3時台(29時間台)にゴールされた方が212人もいて、その数は一般の部の完歩者556人の38%にも達している(全体データはこの記事の末尾に示す)。まる1日以上、30時間近くも歩き続けたこれらの方こそが、びわ100の主役なのだと思う。タイムを縮めたいとか何時間を切りたいとかいう当方の思惑は、そうした主役や運営者の邪魔にならない範囲で、静かに検討すべきことだと思っている。

(2) チェックポイントやエイドステーションごとに工夫をこらした歓迎ぶりで出場者を休ませ、また元気づけていること。今年は5か所のチェックポイントごとに小さな缶バッジをくださり、全部揃うと「ありがとう」になるというおしゃれな趣向も。寒い中で前記オレンジ色のウインドブレーカーを着て励ましてくださったサポーターのみなさんもまた、びわ100の主役なのだと思う。

IMG_3303.jpg

・遠方からの参加者として、あえて希望することがあるとすれば、次の2点。
(1) 各コースのスタート時間を、なるべく繰り上げてほしい
 遠来者は長浜に前泊せざるを得ない。従って、極論すればスタートが午前7時でも8時でもかまわない…というよりも、せっかく滋賀県まで来たからには、明るいあいだに少しでも琵琶湖の景色を楽しみたいので、夜明けと同時にスタートが理想。
(2) 中間地点での荷物取り出しを復活させてほしい(または、途中地点への補給物資送りを行ってほしい)
 これをやるためには、運営者は預り荷物をスタート地点→中間地点→ゴール地点と順次運ばなければならず、大変なのはよくわかるので、あまり強く求めるものではないが、家族や友人から沿道で補給や支援を受けることができない遠来者としては、やはり中間地点で荷物を入れ替えることができればありがたい。入れ替えるのが難しければ、せめて、荷物とは別に、中間地点に送るためだけの小さな袋か箱を受け付けて、最低限の補給物を送れるようにすれば、一応の目的は達せられる。聞くところによると、ウルトラマラソンでは自分の補給物(ドリンクとか)を途中のエイドステーションに送っておくことができるそうなので、これと同じことが実現すればうれしい。

〔歩き方の課題と今後のトレーニング〕

・ペースを乱した原因のひとつは、第2CPと第3CPの間が17kmしかないのに計時開始に4時間差があることだ。これを上手にクリアするためには、第2CPまではあえて遅い時間に通過して、午前0時ちょうどぐらいに第3CPに着くようなペースを考えなければいけないことになる。
 計算上、70km地点(第3CP)に午前0時(スタートから14時間後)に到達するためには、1kmあたり12分のペースでコンスタントに歩き続ければよいことになる。チェックポイントやエイドステーションでのタイムロスを加味して、それより少し早いペースが必要であるにしても、少なくとも、今回の序盤のような1kmあたり10分台とか9分台のペースは、無意味に速すぎたということになる。

・もっとも、前半のペースを抑え目にしたからといって、後半の体力が温存できる保証はないわけで、ひょっとすると時間の経過とともに同じように疲れてしまうのではないかも思う。もしそうなら、今回同様、最初のうちに無理してでも距離を稼いでおくのが正解ということになるのだが。これは、実際に何度も100kmを歩いて実験してみるしかないので、次回は最初から1kmあたり11分30秒ぐらいで(コンスタントに)全行程を歩き、CPやエイドでの休憩は5分以内にとどめることに挑戦してみようと思う。

〔装備について〕

まだ軽量化の余地があると思われる。

・行動食を持ちすぎだった。各種とりまぜ8回分を持参して、5キロおきに補給するつもりだったが、結局7回分しか使わなかった。チェックポイントやエイドステーションでいただいたバナナやおにぎり、チョコレート、お煎餅などで足りてしまったため。本当に足りなければタイムロスを承知でコンビニで買うこともできるので、次回はせいぜい4回分にしようと思う。
また、行動食の内容も、甘いものに偏っていたことが反省点。塩気のある煎餅とかみたらし団子などを交互に摂るような設計にすべきだった。甘いものにしても、ほぼ糖質100%のものと、脂肪や蛋白質を多く含むものと、どう組み合わせるかは今後の研究課題。この点を考えようとすると、生化学の教科書をきちんと読まなければならないが…

・夜の寒さ対策も改善する必要がありそう。具体的には、
(1)どのくらいの寒さを想定すべきか
(2)どのような装備で対応すべきか
の2点。
まず、寒さの想定については、事前の検討で、10月21日の早朝に彦根の最低気温が10度を割り込んだことは過去11年間で1回しかなかったので、あまり深く考えずにレインウェアを防寒着がわりに使ったのだが、実際に歩いてみると、もっと寒かった。何度ぐらいまで下がったのだろう…と調べてみると、15.3度までしか下がっていない。おかしいな…と思い、大津と長浜のデータを参照すると、大津は9.5度、長浜は7.8度まで下がっている(↓気象庁データから藪柑子作図)。同じ県内でも、これほど大きな差があるのですね。このあたり、地元の事情に詳しくない遠来者は入念な情報収集が必要と痛感。

20181020-21 気温推移.png

次に装備の選択という点で、レインウェアのシャカシャカ&ぼってり感は、長い距離を歩くには向かない感じがする。かつ、レインウェアは重い。背負っても着ても重い。大雨ならともかく、防寒着がわりに使うのであれば、もっと軽いレインウェアを持参すべきだった。

・給水について、ハイドレーションを1.1リットル飲みきった時点でコンビニに立寄って補充する予定だったが、あまりの寒さに、冷たい飲物を買い求めて補充する気が起きなかった。それなら、昼間なら冷たいもの、夜間なら暖かいものを、その都度ペットボトルで買って持ち歩いた方がよいのだろうか。これも次回に向けた研究課題。ペットボトルの開閉が煩わしく感じられるので、飲み口のついたソフトフラスクを使うことも有効かもしれない。

・靴の選択はうまくいったようで、靴ずれもマメもできずに済んだ。出発前にワセリンを塗ったが、その後はノーケアで、かつソックスの交換がうまくいかなかっただけに、これは大助かり。しかし、そういう靴ほど早くすり減ってしまうような気がする。

〔主催者から発表されたデータ〕
びわ100コース(一般の部)
 登録者数 821
 出場者数 782
 完歩者数 556 (出場者数に対して71%、登録者数に対して67%)
       ↓
 完歩者556人のゴール時間帯別内訳
  午前7時まで(=21時間以内) 33
  午前8時まで(=22時間以内) 36
  午前9時まで(=23時間以内) 38
  午前10時まで(=24時間以内)51
  午前11時まで(=25時間以内)49
  正午まで  (=26時間以内)48
  午後1時まで(=27時間以内)47
  午後2時まで(=28時間以内)46
  午後3時まで(=29時間以内)86
  午後4時まで(=30時間以内)122

アスリートコース(健脚の部)
 登録者数 76
 出場者数 70
 完歩者数 62 (出場者数に対して88%、登録者数に対して81%)
       ↓
 完歩者62人のゴール時間帯別内訳
  午前7時まで(=18時間以内) 10
  午前8時まで(=19時間以内) 11
  午前9時まで(=20時間以内)  8
  午前10時まで(=21時間以内) 8
  午前11時まで(=22時間以内) 9
  正午まで  (=23時間以内) 4
  午後1時まで(=24時間以内) 6
  午後2時まで(=25時間以内) 3 
  午後3時まで(=26時間以内) 1
  午後4時まで(=27時間以内) 2

〔スポーツウォッチのデータ〕
 歩数 10月20日93,325歩 21日55,249歩
 心拍数 20日 最高値147/最低値64
     21日 最高値130/最低値43

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2018・第5回びわ100参加の記録②当日編 [雑感]

夜中に咳で目が覚めてしまう。これは困った。
朝起きて外を見ると、小雨が降っている。降水確率10%だったはずでは…
テレビをつけてみると、気圧は高くて安定している(確かに理想的な天気図…)が、高層に冷気が流れ込み、大気が不安定な状態だとのこと。

SPAS_MONO_201810200000.png

幸い、わずかに路面が濡れる程度の雨だったので大事には至らなかったが、ショートスパッツが要るかもしれないな…と荷物に加える(結局使わなかった)。
長袖Tシャツ+ショートパンツの組合せは事前に2種類用意しておいた。気温が高いとき用(薄手)と気温が低いとき用(厚手)の2種類なのだが、最後まで迷った末、厚手のセットを選ぶ。これは大正解だった。
ハイドレーションの1.5リットルパックに「南アルプス天然水はちみつレモン」を約1.1リットル給水。
咳が止まらないので風邪薬をのみ、かつ、マスクをして会場に向かう。もともと帽子をかぶりシェード(日除け)を垂らしているので、マスクが加わるといっそう怪しい風体になるが、いたし方ない。

・0km スタート地点で開会式。雨はあがっている。10時にスタートするコースには、たしか811人が登録していたはずだが、実際に何人が歩くのだろうか。予定どおり10時にスタート。今年は最初からストックを使う。

・5km 予報どおり北西の強風…というか暴風に近い。体の右側から左側、つまりびわ湖側から道路側への横風で、左右のバランスを保つのが難しい。こんなときにはストックが役に立つ。湖面には白波が立っていて、まるで海のようだ。雨よりはずっとましだが。

・10km 去年より早いペース。1キロ10分を切っている。ついて歩くのに都合のよい人(速すぎず遅すぎずな人)が周囲にいないので、どうしてもペースが早くなってしまう。

・15km 彦根城の周囲では「ゆるキャラ」をテーマにしたお祭りの最中らしく、かなりの人出。ぶつからないように気をつけながら歩く。濠端で右側ストックの保護カバーが下水溝の蓋の穴にはさまり、あっと思ったときには脱落してしまった。まだ85kmもあるのに…

・20km 前後の歩行者との間隔が開きはじめる。去年は23kmの地点にカメラマンがおられて、通過者を次々に撮影してくれた(クラウド上で公開される)のだが、ことしは見当たらない。幹線道路から外れて湖岸の集落を縫う生活道路を歩くと、急に静かになる。家の前に人が出てきていたり、草むらで鳴く虫の声が聞こえたり、歩いていて気分がよい。

・25km 公園のトイレに立寄る。ふと横を見ると、去年の大会で、濡れた靴下を交換したあずまやが見える。あれから1年経つのか…

・30km 依然として強風。しかしさっきまでの北西つまり横風から、いまは北北西または北の風に変わっていて、わずかに追い風になっている。橋を渡って彦根市から東近江市へ。彦根市内をつごう20km近く歩いたことになる。すぐに東近江市から近江八幡市へ。

・32km 第1チェックポイント。スタートから5時間半余。去年より20分以上早い…というか早すぎる。クラブハリエで有名な「たねや」の法被を着たサポーターの方から末広饅頭と、メッセージが書かれたバナナをいただく。思わず「去年ここのCPでいただいたお饅頭がおいしくて、今年も楽しみにしていたんです!」と口走ってしまった。ビバ末広饅頭。靴下を交換し、現在位置を家族に知らせ、昼の分の風邪薬をのむ。去年も見かけた車椅子の出場者が、向かいのベンチに座っておられる。
今年は、チェックポイントごとに小さな缶バッジをくださるようだ。かわいいデザイン。

・40km 長命寺の交差点の先で日没。湖のむこうの山に沈む夕日と湖面が、映画のワンシーンのように美しい。明るいうちに41kmのエイドステーションにたどりつこうと急ぎ足でがんばる。エイドステーションでおにぎりと豚汁。ここでいただくおにぎりのお米は、大変おいしい。エイドステーションを出るともう真っ暗で、月が明るく見える。
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・45km 幹線道路の右側(湖岸側)を進む。32kmから53kmまでは、人家の少ないところを通るので、信号がないのは嬉しい反面、目標物が少なくてやや寂しい。去年のコースだった左側(内陸側)の歩道よりずっと幅が広く歩きやすいのだけど、対向車のヘッドライトがまぶしくて歩道の路面がよく見えないのが残念。
 参加者のバックパックには大会本部支給の点滅灯が後ろ向きに取り付けられているので、暗闇の中でも前に人が歩いている様子がわかるのだが、追い抜くよりも追い抜かれることが多くなってくる。40kmまでのオーバーペースが災いして、しだいに減速気味に。
 湖岸のオートキャンプ場で、火をたいてバーベキューをしているのが見える。別世界。

・50km 河口にかかる高い橋を渡る。暗い上に風が強いので少々怖い。右前方に守山市街地や琵琶湖大橋の灯火が見えてくる。
 前後の選手が遠く離れ、沿道に人家もないので、ピッチを上げるため小声で歌いながら歩く。万聖節も近いので、"For all the saints"を何度も何度も繰り返す。

(以下引用)
For all the saints, who from their labours rest,
Who Thee by faith before the world confessed,
Thy Name, O Jesus, be forever blessed.
Alleluia, Alleluia.
(以上引用終わり)

・53km 第2チェックポイント。スタートから9時間47分。去年より11分早い。まだ計時がはじまっていないので、およそ50人ほどの出場者が整理券をもらって計時開始を待っている。その間に靴下を替え、いただいたあんぱんとクリームパンを食べる。20時になって計時してもらったあとも、なんとなくダラダラ休んでいて、結局30分ぐらい長居してしまう。
20時10分すぎ、ようやく重い腰をあげて出発する。去年はここでリタイアしたので、ここから先は未知の領域。歩く方向がわからなくなり、スタッフの皆さんに「こっちですよ!」と指示してもらう。

・55km ショッピングモール「ピエリ守山」の前を通過。ずいぶん立派なショッピングセンターで、本屋の看板も見えるが、本を買いたい気分ではない。ここでびわ湖畔を外れ、内陸の幹線道路へ。

・60km エイドステーション。マッサージを受けられるかも、とテントをのぞいてみたが、混んでいるようなので先へ進む。
交差点を右折して栗東市に入る手前の広い歩道で、13時に(3時間後に)スタートしたアスリートコースの先頭選手に軽々と追い抜かれる。そのスピード差に、ちょっとした衝撃を受ける。

・65km 草津市に入る。あらかじめ調べておいたコーヒーショップに入り、小倉トーストと紅茶を注文して休憩。夜の分の風邪薬をのみ、ハイドレーションがカラになっていることを確認(寒いので、補給はしないことにする)。2回目のトイレ。両下肢にロキソニンテープを貼る。暖かくて居心地がよいので、つい長居してしまう。結局40分近くもぐずぐずした末、防寒着がわりのレインウェアを羽織って外に出てみると、気温が10度近くまで急激に下がっている。しまった。上だけでなく、下(レインパンツ)もはいておくべきだった。
IMG_3306.JPG

・70km 第3チェックポイント。午前0時に計時を開始するので、開始直後の00時05分ごろ着くように歩くつもりだったが、喫茶店に長居したのが原因で00時25分になってしまう。ここでもマッサージの待ち時間がかなりありそうなので、先を急ぐことにする。立ったままレインパンツをはく。

・75km 深夜の幹線道路から湖岸道路に戻ってきた。月はすでに西に傾いているが、それが湖面に映って美しい。きょうは月齢11。幹線道路から瀬田川河畔の遊歩道に移るところでコンビニに立寄り、温かいはちみつレモンを購入。おいしいけど甘すぎる。
このあたり、各大学ボート部の艇庫が並んでいるのですね。河畔の遊歩道は、昼間なら気分のよい道なのだろうが、街灯もなく真っ暗なので、橋をくぐるときなど、ちょっと気持ちが悪い(というか、遊歩道と川のあいだに柵がないので、歩きながら眠っていると落ちそうでこわい)。水鳥がもぐるときの音が、人が飛び込んだように聞こえてびっくりしたり。草むらの虫の声がさかん。

・80km なかなか見えてこなかった第4チェックポイントに到達。午前2時の計時開始に遅れること40分。第3CPから第4CPまでの10kmに2時間15分を要していることから、1km12分ペースを維持できていないことがわかり、この時点で、午前6時のゴールは不可能であることがほぼ確定。CPでいただいたお煎餅がとてもおいしい。スタート以来甘いものばかり食べているので、塩気の効いたものがおいしく感じられる。

・85km 南郷洗堰を渡り、瀬田川左岸を北上。依然として河畔の真っ暗な遊歩道。対岸を第4CPに向かって南下している出場者のヘッドランプが、蛍の列のように見える。つらいのは自分だけではない…という奇妙な連帯感。
近江大橋(87.1km)や琵琶湖大津プリンスホテル(88.4km)の灯火が遠くから見えるのだけど、なかなか近づいてこない(∵目標物が大きい上に、こちらが遅いから)。遠近感がよくわからない上に眠い。後方から自分を見たら、多分よたよたしていることだろう。自販機で暖かいほうじ茶を買ったが、小銭を避けるためにせっかく用意したICカードが使えず、大量のつり銭で荷物が重くなってしまった。
このあたりから、早朝の散歩やランニングをされる姿が現れはじめる。大津市街を徘徊するオートバイの音がうるさい。


・90km 瀬田川沿いの遊歩道から市道に戻り、第5チェックポイント。計時開始から1時間17分。温風ヒーターの大きなやつ(あれは何という名前なのだろう)が出す熱風にあたり、靴と足を乾かす。左足小指と右足親指にしびれるような違和感があるが、歩けないほどの痛みではない。チェックポイントを出ると、びわ湖の対岸、東側の山々がうっすらと明るんできたのが見える。

・95km びわ湖ホテルの角を曲がり、堅田や高島方面への幹線道路に沿って、すっかり明るくなった大津市街を北へ歩く。高層ビルが立ち並ぶ中心部から少し歩くと、すぐに郊外に出てしまう感じ。歩幅はもはや30センチぐらいと思われ、ここが頑張りどころなのだが、さらに腰とか胸も痛くなってきたため、このまま全力で前進していった場合、あす仕事にならない惧れ(=最悪シナリオ)があることから、午前7時台のゴールはあきらめる判断をして、ゆっくり歩くとともに、95キロのエイドステーションで長時間休憩。スタッフの方々と話をしながら、お煎餅をいただく。日がさして暖かくなってきたので、上下ともレインウェアをバックパックに戻し、スタート時の格好に戻る。みなさんに「あと5キロですから」と励まされて出発。

・97km コース中最大の高低差ともいえる歩道橋を渡る。ふだんなら何でもないような階段が、絶望的な高さに見える。1段ずつ上るのが大変つらいが、下りは意外に簡単で、脚がもつれることもなかった。しかし、これで最後の体力を使い果たしたらしく、そのあとの数キロがとてつもなく長く感じる。道の右側の電柱に、大会本部が出した「あと2キロ」や「あと1キロ」の小さな貼紙が見え、最後の力を振りしぼる。
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・101km 生活道路から幹線道路に戻り、ふたたび延々と歩く。やがて信号を渡ると、ゴール地点の公園が見えてくる。公園の入り口にある階段、ほんの数段の階段をストックの助けで上り、スタッフと握手してゴール。事務局の方から完歩証を受け取って、自分にとっての大会はこれで終了。食べ物の販売もあるのだが、5kmごとに行動食を詰め込んできたため、消化管が正常に機能しなくなっている感じ。

ゴール地点に陣取って、次々に完歩される方に拍手を送り続けたいところだが、時間の制約もあり、公園の前を通る路線バスに乗って浜大津まで戻る。帰りの新幹線が東京に着くのがちょうど16時ごろ、この時間まだゴールが続いているのか…と複雑な気分。

(③感想・分析編に続く)

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2018・第5回びわ100参加の記録①準備編 [雑感]

リタイア(53km)で終わった第4回大会から1年。2回目の挑戦でなんとか完歩したいところ。

5月20日 今年の開催日程をHPで確認し、長浜のビジネスホテルを予約する。

7月1日  受付初日にエントリー。通常コースかアスリートコースか迷う。人数が少ないアスリートコースのほうが歩きやすそうだが、昼間の時間が長いほうが景色が楽しめることと、一度も完走したことがないのにアスリートコースはおこがましいでしょう、ということで通常コースでエントリー。

7月8日 大会本部からの告知で、今年から中間点での荷物一時引き出しができないことを知る(スタート時点で預けた荷物は、ゴールまで受け取れないということ)。

これは大幅なルール変更。これだと、後半分の行動食や着替えをスタート時点から持っていくか、途中のコンビニで購入しなければならないことになる。また、これまでなら中間点でリタイアした場合に限り、荷物を受け取って即日帰京することができたけれども、今後は
①大津か京都に着の身着のままで1泊して翌朝ゴール地点で荷物を受け取る 
②着の身着のままで帰京して荷物は着払いで送り返してもらう のどちらかになる。
スタートが午前9時から10時に繰り延べられたことも含め、計画を練り直さなければ。

・行動食は、5kmごとに20回補給と仮定して、スタート時に前半10回分を携行し、中間地点で後半10回分を補充することにしていたが、後半分はコンビニに依存するほうがよさそう。チャリティー大会なので、エイドステーションでいただく食べ物は計算に入れない。
・問題は着替え。中間地点に到着するのは19時ごろなので、預けておいた長袖シャツをここで引き出して着替えるつもりだったが、最初から持っていくか、いっそ着替えないことにするか…。また、ソックスは25kmごとに替える予定なので、中間地点で補給ができるなら1足携行すればいいはずが、全部持っていくとすると3足携行する必要があるわけで、これもどうしたものか…
・スタートが1時間繰り延べられたことで、各地点の通過予想(目標)時刻も1時間ずつ下がることになる。コンビニはずっと営業しているので、何時に通過しても影響なさそうだが、65.8キロ地点にあるスターバックスに、営業時間内に到達できないのが残念。カロリーの高そうなお菓子をいっぱい売っているのだが…

8月5日 彦根地方気象台のウェブページを読むと、「滋賀県の気候」というページに、秋の気候の説明として、以下のようなことが書いてある。
(以下引用)
太平洋高気圧の縁に沿って移動する台風はこの時期に日本に上陸しやすくなります。 さらに、台風が接近する際に吹き込む暖かく湿った気流によって活発化した秋雨前線が大雨を降らせることもあります。
滋賀県の北部に特徴的な天気のひとつに時雨があります。時雨は晩秋から初冬に多い現象ですが、10月にも起る事があります。
10月中頃になると大陸の乾燥した高気圧が次第に勢力を増し、日本付近に停滞していた秋雨前線が消えて秋雨の時期は終わります。
10月末から11月にかけては、勢力の強い移動性高気圧におおわれるようになり、秋晴れの日が多くなります。
(引用終わり)
まあそうですね。秋雨前線と台風さえ排除できれば、楽しい大会になるのだけど。
ちなみに「彦根の天気出現率」というデータで10月20日の項をみると、
 晴れ 63.6%
 曇り 18.2%
 雨  18.2%
となっていて、雨に遭遇する可能性は約2割ということか。2割…なにしろ距離が長いので、雨が降ると降らないとで装備がまったく違ってくる。両日とも晴天の予報であれば、極限まで荷物を軽くできるのだけど。

8月18日 久しぶりにトレーニング、といっても12kmの周回コースを歩くだけ。ところが、10km過ぎたあたりから両足のつけ根が痛くなってきて、タイムが大幅に悪化。原因がわからない。12.0キロを2時間15分。

8月25日 もう一度周回コースでトレーニング。今度は一定のペース(10分40秒前後)を意識して歩いたら、最後までうまく歩けた。11.1キロを2時間01分。

9月6日 周回コースの半分でトレーニング。インターバル走的に、1キロごとに、10分40秒ペースと9分50秒ペースを交互に歩いてみる。6.1キロを1時間02分。

9月16日 周回コースでトレーニング、最初から最後まで1キロ10分ちょうどのペースを維持して歩く。13.3キロを2時間12分。

10月2日 今年度の参加要領とコースマップが郵便で到着。第4CPの位置が83km地点から80km地点に変更されている以外、大きな変更はなさそう。また、ことしのコースマップは歩行者の知りたいポイントをよく押さえたコンパクトなものになっていて、これなら携行可能。だんだん楽しみになってきた。

10月7日 本番と同量の荷物を背負って周回コースでトレーニング。暑さでペースが上がらず、14.3キロを2時間23分。荷物のうち行動食の重量と容積が邪魔になるので、10回分ではなく8回分に減らし、35kmと40kmはエイドステーションでいただく食事で代用、55km以遠は道ばたのコンビニで調達することにする。タイムロスになるが、重量軽減のためには致し方ない。

10月13日 本番一週間前。気象庁と日本気象協会の週間予報をドキドキしながらチェック。どちらの予報も、両日とも晴または曇で降水確率20%。すばらしい。あとは、台風が発生しないことを祈るのみ(去年は、10月16日に発生した台風21号が、わずか5日後の10月21日(大会当日)に大雨を降らせている)。

20181015.png

10月15日 最悪のタイミングで風邪をひく。

10月18日 風邪が治らない。念のためクリニックを受診したが、医師に「100キロウォークに出てもいいですか」とは訊けなかった。薬をたくさんいただく。薬を飲みながら100キロウォークって、何をやってるんだかな感じだが、さっさとキャンセルする度胸もない。

10月18日 その後も予報は晴で変わらず、天気図的にもいい感じなので、去年とは逆に、雨の心配はないと判断して晴天用の装備だけを持参することに決める。それでも念のためにレインウェアの上下だけは入れることにするが、これが後で役に立つことになるとは。

10月19日 長浜に移動し、去年と同じ宿にチェックイン。ついでに、晩飯も去年と同じ店で食べる。おいしい店なのに、お客は最初から最後まで自分しかいなかったのがちょっと心配。

(②当日編 に続く)

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第124回深夜句会(9/20) [俳句]

(選句用紙から)

表彰式新たな霧に包まるる

季題「霧」で秋。「新たな霧」というからには、断続的に霧が出たり晴れたりしているのだろう。平地でもそういうことがないわけではないけど、山がちな村とか、あるいは山の中とか、そんな場所が想像される。
そこへもってきて「表彰式」というと、これはどういう状況なのか。山奥の小さな学校の運動会とか、トレールランニングの大会の表彰式とか、そんな状況だろうか。
で、競技中も霧が出たり晴れたり(で競技の模様が見え隠れしていた)だったのが、全部終わってさあ表彰式という今になっても、やっぱり霧に包まれてよく見えない、というのが面白い。

ふらふらと来て秋の蚊に食はれけり

季題「秋の蚊」。ふらふらと来たのは秋の蚊なのか、それとも食われた人なのか、そこが定かでないが、秋の蚊であれば「来て」でなく「来た」とか「来し」とするだろうから、人がふらふらと来たのだろう。「ふらふらと」は病気でもなく、体の支障でもなく、酔っ払って歩いているのだろうか(そのほうが、蚊に食われることとは整合する)。

古井戸に湛へし秋の水の面

(句帳から)

病院の前のバス停秋の暮
技術部の芋煮営業部の芋煮
露月忌や大河に面し船着場



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シャイニング丸の内氏はなぜ誤ったか [雑感]

(いきなり引用)
shimaru365.png
(引用終わり)

いささか旧聞に属する論争のきっかけは、このツィートだった。
ギャグでも炎上芸でもなく、大まじめと受け取れる投稿ぶりだったので、多くの反響があった。
反響の一例として、以下のものを引用して紹介する。

〔勉強したい人が選択すればいいんじゃないの、という賛同(高橋雄一郎氏)〕
(以下引用)
高橋雄一郎 @kamatatylaw 話題の古文漢文不要論だけど、講義時間や必修選択の別といった中高カリキュラム編成の問題に過ぎないのに、学問価値優劣論や文系理系相互の蔑視感情やコンプレックスが交錯して冷静な議論から逸脱する傾向があるよね。 7:18 - 2018年2月22日 教養にも若いうちに強制的に教えこまなければならない教養(甲)と、学びたい人が必要性に応じて学べれば足りる教養(乙)があって、古文漢文はどちらかという問題ではないか? 15:29 - 2018年2月21日 若いうちに強制的に教えこまなければならない教養(甲)はパターナリズムを根拠とする。善悪の別や行動原理、忍耐力、キレない心と折れない心、健康管理、性教育、読み書き計算、柔道の受け身、自転車の運転、水泳、逆上がりぐらいではないか。 15:24 - 2018年2月21日 (以上引用終わり)

〔漠然とした教養としてではなく、漢文も日本語の基礎だからビジネスシーンで実利的に役に立つのだ、という反論(安田峰俊氏)〕
(以下引用)
本記事ではあえて、「現代日本の日常生活およびビジネスシーンで有用」「効率性の向上やカネ稼ぎにつながる」という実利的視点のみから、漢文や中国古典の基礎的な知識を持つことのメリットを論じてみることにしたい。 (1) SNSの投稿やショートメッセージがスマートになる (2)情報伝達コストを下げられる (3)法的リスクへの対応力を強化できる (4)海外の偉い人に接する際の売り込みツールとして威力を発揮する的リスクへの対応力を強化できる 日本語の基礎には漢文と漢文法が深く食い込んでおり、一般的な日本人の教養のベースの一部には中国古典が存在する。その先に広がる「応用」の知識を取りこぼしなく身につける地ならしとして、基礎として学んだほうがいいものなのだ。
(以上引用終わり)

この議論の難しいところは、ここでいう「教養」とは何か、またそれが、「仕事で役に立つ」とはどういう意味なのかがきちんと定義されていないので、主張と主張がきちんと噛み合わないことにある。
そうではあるが、もともとのtweetは、「高等学校の他の科目と比べて古文漢文の重要性が低い」という趣旨と思われるので、これに反論するにあたっては、仮にこのtweetが根拠薄弱な感想のようなものであったとしても、一応根拠を示して反論することが望ましいわけで、シャイニング氏に馬鹿というレッテルを貼って終わりにするのは、あまり感心しない。

そこで、あえて正面切って「漢文や古文も他の科目と同様に重要なもので、仕事にも大いに役に立つのだ。」という説明をしてみたい。つまり、上記安田氏と結論においては同じになるわけだが、理由を別の角度から提起してみる。

古文漢文は仕事の役に立つか。役に立つ。理由は以下のとおり。

仕事にはいろいろな分類があるけれど、職種とか業種とかの分類でなく、どんな職種や業種でも、「前例のない問題に対処しなければならない」という仕事があるはずだ。

仕事の困難度って簡単には測定できないし、ノルマがきついとか納期が短いとか、そういう困難もいろいろあるのだけれど、やはり「先例がない、かつて経験したことのない問いに、答えを出さなければならない」というような仕事は、まず難しいものといって差し支えないだろう。
例えば、
 ・貨幣の時間的価値はマイナスになりうるか
 ・これまでになかった取引形態(例えばストックオプションとか)の仕訳をどう切るのか
 ・自動運転の車が起こした事故の責任はどこにあるのか
 ・尊属殺重罰規定は法の下の平等に反するか
などなど。

そのような問いには、あらかじめ決まった答えがなく、先例もなく、個別の知識が単品では役に立たない。
そんなとき、どうやって答えを導いていくかというと、もっと漠然とした、さまざまなジャンルのことがらの中から、過去の人々が、どんな状況でどんなことを考えていたのかを通じて、「真善美」のような漠然とした尺度を抽出し、それを参考に―その尺度もまた絶対ではないので、あくまで参考に―して、答えを導いていくしかないと思われる。

で、古典文学というのは、数百年とか数千年にわたって、人々から一定の支持を得てきた思想や感情の表現であるわけだから、真善美のような尺度を各自が心のなかで作り上げていく上で、控えめに言っても有用な、もっといえば不可欠なものではないだろうか。

そうすると、古典文学を学ぶことは、結局のところ、どこかで上記のような難しい問いに直面したときに、答えを導く助け(のベース)として、一定程度有用といえるのではないか(古典文学だけが有用だと言っているのではないので念のため)。
古典文学と似たような例として、オーウェルの「1984年」とか、事件でいえば南海泡沫事件やチューリップ球根事件なんかも、尺度を作り上げていく上で有用だけれど、こちらはもっと直接的に「会計監査の意義」とか「公文書改ざん」についての考え方を提供してくれる。

いずれにせよ、これらは、知っているといないでは対応に大きな違いが出てくるだろう。以上のことから、古文や漢文など「古典」と呼ばれるものは、試験に出る出ないにかかわらず、困難度の高い問いに対処するために必要なものだと結論づけることが可能だ。


傍証として、ちょっと違う角度から、「前例のない状態に置かれた人間が、古典文学やこれに類似したものを学ぼうとした」実例を挙げてみたい。

一つは、ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航訳、エディトリアル・リパブリカ、2018)に描かれた、旧ソ連にあったポーランド兵収容所で行われた講義の模様である。
収容されていたポーランド軍将校は、それぞれに「書物の歴史」「イギリスの歴史」「建築の歴史」「南米について」「プルーストについて」といったテーマを持ち寄って、講義を行ったという。
(以下引用)
「いまでも思い出すのは、マルクス、エンゲルス、レーニンの肖像画の下につめかけた仲間たちが、零下四十五度にまで達する寒さの中での労働のあと、疲れきった顔をしながらも、そのときわたしたちが生きていた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて、耳を傾けている姿である。」(pp.16-7) 「わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる、と証明してくれるような知的努力に従事するのは、ひとつの喜びであり、それは元修道院の食堂で過ごした奇妙な野外授業のあいだ、わたしたちには永遠に失われてしまったと思われた世界を生き直したあの時間を、薔薇色に染めてくれた。  シベリアと北極圏の境界線の辺りに跡形もなく消え失せた一万五千人の仲間のうち、なぜわたしたち四百人の将校と兵士だけが救われたのかは、まったく理解できない。この悲しい背景の上に置くと、プルーストやドラクロワの記憶とともに過ごした時間は、このうえなく幸福な時間に見えてくる。」(pp.17-8)
(以上引用終わり)

もう一つは、山崎正和『文明の構図』(文藝春秋、1997)に描かれた、「敗戦後の旧満州の中学校の暗い仮設教室」で行われていた授業の様子である(原典を入手できず、鷲田清一「京都の平熱」(講談社学術文庫、2013)からの孫引きとなることを許されたい)。
(以下引用)
外は零下二十度という風土のなか、倉庫を改造した校舎は窓ガラスもなく、不ぞろいの机と椅子しかない。(…)引き揚げが進み、生徒数も日に日に減るなかで、教員免許ももたない技術者や、ときには大学教授が、毎日、マルティン・ルターの伝記を語り聞かせたり、中国語の詩(漢文ではない)を教えたり、小学唱歌しか知らない少年たちに古びた蓄音機でラヴェルの「水の戯れ」やドヴォルザークの「新世界」のレコードを聴かせた。そこには、「ほとんど死にもの狂いの動機が秘められていた。なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳を失うだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思ったおとなたちは、ただ自分ひとりの権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかった。」(p.157) (以上引用終わり)

ここで「中国語の詩」についてわざわざ「漢文ではない」と補足されているのは、戦前の学校教育との違いを強調する趣旨なのか判然としないが、ともかくこれらの実例は、前例がなく明日死ぬかもしれないという状況で、そのような極限状況を受け止める(受容するにせよ、反発するにせよ)ときに必要なものは、むしろ古文や漢文のような学問であることを示しているのではないか。

以上のようなことから、古文漢文は他の教科と並んで、遅くとも高校までに学んでおくべき価値のひとつ(高橋雄一郎氏の分類に従えば「教養(甲)」)であると考えるものである。

最後に冒頭の問いに戻って、シャイニング丸の内氏がなぜ誤ったか(つまり、なぜ、高等学校で古文や漢文を学習する必要がないと感じてしまったか)といえば、それは、氏がこれまで、残念ながらその程度の仕事、つまり一つの問いに対して一つの答えを用意すればいい程度の仕事しかしてこなかったから、ではないだろうか。


(7.11追記)
藪柑子の通っていた高校には当時、1年間かけて「徒然草」を1段ずつ順番に読んでいく授業(必修だったか選択だったかは覚えていない)があって、3年間のなかでも指折り数えられるぐらい印象に残る授業だった。当時副読本に使っていた安良岡幸作「徒然草全注釈」上・下(角川書店、1967)は、就職して実家から出るときに荷物に入れ、その後何度も何度も引越しをした末に、今も本棚にささっている。
何が言いたいかというと、少なくとも自分が職業人として生きていく上で背骨となるぐらいの影響を、たった一つの作品からだけでも受けたということであり、かつ、それは高校の授業できちんと読み込むことではじめてそうなったのだということだ。シャイニング丸の内氏にそうした古典との出会いがなかったとすれば、上記のような「現在従事している仕事の内容や程度」もさることながら、その感受性や理解力(少なくとも、高校時代の感受性や理解力)についても疑問が浮かぶところであるが、それはこの稿の本題ではないので省略する。


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番町句会(9/15) [俳句]

きょうのお題は「太刀魚」と「甘蔗」。

(選句用紙から)

雲黒く海昏き日も甘蔗

 「涙そうそう」の「晴れ渡る日も雨の日も」を連想するのだけど、国内でサトウキビを詠むとすれば、和三盆の原料となる竹糖を除けば、どうしたって沖縄のサトウキビ畑ということになる。で、青空とか青い海とかがお約束のようになってしまいがちなのだけれども、南西諸島はまた台風や過酷な気象条件の影響を受けてきた場所でもあって、そのようなサトウキビ畑も、またその場所の季節を形作る上での重要な事実である。

お隣も同じ間取や秋刀魚焼く

あまりによくわかる―映画のワンシーンを切り取ったような―句なので「つきすぎなのでは?」と議論になる。お隣も同じ間取り、ということからして、これは集合住宅、それも鉄筋のマンションなんかではなく、庭先で秋刀魚が焼けるような長屋(関西なら「文化住宅」か)ということになる。そのうちの1軒で夕餉に秋刀魚を焼いていると、その煙とかにおいとかが、隣にもその隣にも流れていく…という風景。しかし、そういう長屋に住んだり見たりしたことのない世代もいるかもしれず、そうすると、数十年後にはこの句も注釈が必要になるのだろうか。


(句帳から)

甘蔗畑の先に不意に崖
圏外となりて楽しき野路の秋

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藤岡陽子『手のひらの音符』(2018、新潮文庫) [本と雑誌]

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以前に友人から勧められてから、気になりつつ手にとる機会がなかった本が地元の書店の文庫平台に積まれている。腰巻きの惹句に「良い小説」とあるのはちょっと引っかかるところで、小説に「良い」「悪い」のモノサシを持ち出すのは違うと思うが、そう表現したくなる気持ちは、読んでみてよくわかった。

この小説には明確に「いい人」とか明確に「悪い人」というような人物は登場しない。それぞれが弱いところを持ちながら、なんとか道を模索していく過程で、助け合ったり傷つけあったりする、そういうストーリーが、読者の共感を得ているのだと思う。

また、俳人(のはしくれ)としては、季節の描写がよくできていて、それがストーリーに立体感をもたらしているところも見逃せない。例えば、
(以下引用)
窓の向こう側の新緑を、水樹は眺める。目に染みるような田んぼの緑が息をのむくらいに美しい。新幹線は滋賀を通過したところだ。東京を出てからまだ二時間も経っていないのに、光を帯びた瑞々しい田や畑が
果てしなく続いていて、それをぼんやり眺めているだけで固く張っていた心が緩んでいく。(p.64)
(以上引用終わり)

というようなところ。

あとがきを読んでみて、この作家には既に何冊も著作があることがわかったので、さっそくもう1作品、『いつまでも白い羽根』を読んでみることにする。

 

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第123回深夜句会(8/23) [俳句]

(選句用紙から)
 
咲きつげる木槿の白し登校日

季題「木槿」で秋。毎日咲いては散りまた咲いては散り、を繰り返す白木槿が、ひさびさの登校日にも咲いていた。「登校日」は、新学期最初の登校日とも、また夏休み中に指定された投稿日とも読めるが、季題が木槿であることからして、新学期が前面に出てくるよりも、夏休みの一日と読むほうが楽。この句の興趣は、詠み手が、いま目の前に咲いている木槿から、自分が登校していない、つまり登校日の前後の日々に咲いては散っている木槿を想像していること。

溝萩を背負ふてベンチの二人掛け

季題「溝萩」で秋。公園なのか生垣なのか、ベンチの背後の草むらに赤紫色の溝萩が咲いている。その溝萩を「背負うように」ベンチに二人が座っている。座っている二人が溝萩を「背負っているようだ」と見たところがミソ。

(句帳から)

二段重ね三段重ね雲の峰
秋雲の影が動いてゆく広場

  

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中脇初枝『世界の果てのこどもたち』(2018、講談社文庫) [本と雑誌]

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腰巻きに「2016年本屋大賞受賞」と書いてあって、よくよく見たら本屋大賞「第3位」と書いてある。これほどすばらしい本が第3位なら、第1位や第2位はどんな本なのかと疑問に思い、調べてみたが…
あの本とあの本ですか。偶然だがどちらも読んだことがある。どちらも面白かったけど、私なら段違いにこっちだと思うのだが。

内容について多言を要しない。属性でものを言うことの不毛さ。どのような属性の下にも、しょうもない個体とすばらしい個体が混在しているという現実。仮に属性間に何らかの差があったとしても、その差より個体差のほうがずっと大きいということ。

ひとつひとつのエピソードがリアルなのは、詳細かつ大量の取材があって、そのほんの一部分を使っているからだと思われ、タイムリミット的なことも考えると、その点でも価値ある一冊。『アグルーカの行方』と続けざまに、まだ7月だが今年のベスト1が2冊到来。




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番町句会(7/13) [俳句]

きょうの兼題は「駒草」。見たことのある季題だと助かる。
師匠の句評を聴くことができるのも半年ぶり。よかったよかった。

(選句用紙から)

駒草や囲ひの外に二三株

季題「駒草」で夏。山の稜線などの、人通りの多い場所へ行くと、グリーンロープなどが張られて、高山植物などの植生を保護しているのを見かけるが、そうした「囲い」の中で育っている駒草が、少しずつ増えていって、囲いの外にも二、三株見られるようになった。それほど目立たしい花ではないので、遠くから見てそれとわかるように増殖しているわけではないのだけど、ごく近くで見ると、囲いの外側にもちらほら、といった風情が感じられる。

痩尾根に駒草へばりついて咲く

高所恐怖症気味なのであまり近づきたくない場所のひとつが痩尾根だが、そうした剣呑な場所を慎重にたどっていると、視線の先にふと、風にとばされないよう尾根にしがみついている駒草の姿があった―このような悪条件の下で懸命に咲いている駒草は、お花畑のような広い場所で咲いているものとはまた違って見える。


(句帳から)

駒草の斜面の荒れてゆくばかり
ヨット二艇タッキングまたタッキング
すれ違ひ登山電車の無人駅
交番にかぶさつてゐる凌霄花
水着着て居眠りをして電車かな

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第122回深夜句会(7/12) [俳句]

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(選句用紙から)

集落へ下りる側道凌霄花

季題「凌霄花」で夏。
「側道」があるぐらいだから、まっすぐな幹線道路、たとえばスーパー農道とか国道みたいな高規格の道路が、地形と無関係にまっすぐ通っている。この高規格道路と「側道の凌霄花」との対比がこの句の眼目。その幹線道路から昔の道に、側道で下りていくのだけど、その側道の脇(の建物か何か)に、のうぜんの花がからまるように咲いている。いまどきの風景が具体的に伝わるところがよい。道路用地にかからずに残っている農家なんかが想像される。


はるかより降り来る雨や夏木立

「はるかより」は、夏空のはるかな高みから、と読むのが普通なのだろうけど、はるか遠いところ(遠隔地)から順々に、とも読め、そこがこの句の面白さでもある。詠み手はうっそうと繁った夏木立の中にいるのか外にいるのか。空の高いところが見えるか見えないか、ということなら夏木立の外にいて、夏木立に降り注ぐ雨を見ているということになるのだけど。

(句帳から)

遠雷の聞こえはじめてゐる牛舎
聞き疲れ話し疲れて夕焼かな

   
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角幡唯介『アグルーカの行方』(2014、集英社文庫) [本と雑誌]

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もっと早く読めばよかったと悔やまれる一冊。

旅や冒険の記録を面白く書くことは、とても難しい。書き手にはわかっている面白さが、読み手には自明ではないからだが、それをクリアしたものだけが作品として生き残っていくことになる。だから、新しい書き手にはなかなか手を伸ばしにくいのだけど、これは逆に、読むのが遅かったという気にさせられる傑作。
(すでに多くの賞を受賞しているのだから、分かりきっているではないかと言われればそうなのだけれど)

内容について改めて説明するのも余計かもしれないが、北西航路を探索に出て行方不明になった1845年の英フランクリン隊の足跡を実際に追っていくものだが、まずその構成の妙に感心させられる。つまり、史実を追って、現実の冒険(調査)と過去の記録が交互に現れていくのだ。その繰り返しの中で、今なお謎とされているいくつかのことがらについて、著者の考え方が順番に示されていく。むろん著者は結論を得た上で書き始めているのだけど、わかっていても、著者といっしょに推論をしていくような気分を味わうことができ、たいへん楽しい。

また、その調査も、さまざまな障害に阻まれながらも、現場をきちんと踏んでいこうとする姿勢が貫かれており、単に「仕事」として行われる調査とは趣を異にする。ジョアヘブンの村で訪ねたルイ・カムカックのこの言葉(312頁)は、何気なく書かれているが、著者が引き出した名言というか、著者が叫びたいことを相手が代弁してくれているのではないだろうか。
(以下引用)

みんな机の上で資料をひっくり返しているだけさ。こんな遠くまで来る者はほとんどいないんだよ。

(以上引用終わり)

冒険の記録は数多くあり、過去の事跡に関する研究も数多くある。しかし、両者をこのような形で融合することで、この作品は別の価値を得たといえるだろう。

 次に、著者は冒険家といわれる人であるからして、実際にさまざまな危険を伴う何かを経験して現在に至っているわけなのだけど、登山にせよ、探検にせよ、そうした危険を伴う行動に人がのめりこんでいく理由について、自分の経験をまじえて説得的に説明していることに感心する。
 説明によれば、それは、そのような命の危険が、逆に「生命の実体」とでもいうべきものを照らし出し、人に居場所を与えるからだ、といったことになる。
 それまでの探検の過程で散々な目にあったはずのフランクリンが、なぜ高齢にもかかわらず再び危険を求めて探検に出たのか、という点についての以下の説明は、非常にわかりやすくハラに落ちるものだった。

(以下引用)
分かりにくいのは彼が、他人には悪夢にしか聞こえないようなこのような体験にも懲りず、その後ものこのこと北極探検に繰り出したことだろう。おそらく彼は最初の体験で荒野に魅せられてしまったのだろう。不毛地帯のただ中で生死の境を彷徨ったにもかかわらず、ではなくて、生死の境を彷徨ったからこそ彼はまた探検に出かけたのだ。ふらつき、腐肉を漁り、靴を食い、贅肉が削げ落ちたことで、圧倒的な現在という瞬間の連続の中に生きるという稀な体験をすることになった(…)初めて生きるものとしての強固な実体が与えられることになった。(429頁)
北極の氷と荒野には人を魅せるものがある。一度魅せられると人はそこからなかなか逃れられない。それまでふらふらと漂流していた自己の生は、北極の荒野を旅することで、始めてバシッと鋲でも打たれたみたいに、この世における居場所を与えられる。それは他では得ることのできない稀な体験だ。(432頁)

この部分を読んでいてふと思ったのが、ジョン・クラカワーの「荒野へ」(集英社文庫)だ。あの話でクリス・マッカンドレスが人里を離れた荒野にのめりこんでいく理由が、上のように考えるとよく説明できる。

控えめで抑えられた筆致といくぶんの諧謔味も、この本を好ましいものにしている(自分を突き放して笑うことができるのは、1人称で本を書く上では重要なところだと思う)。また、当時のイギリス的なものに対する適度な距離(持ち上げもせず、落としもしない)もいい。限界を示しつつ、否定はしないということは、けっこう難しい。これは、われわれもまた現在の「時代」の枠の中でしか生きていないという認識があるからできることだと思う。

最後に、地図がある程度充実していることは、読んでいく上で便利なだけでなく、地図自体が読書の対象と考える私にとっては、とてもありがたい(本棚から別の地図帳を持ち出してきて参照しなければならないようなノンフィクションは、けっこうある)。

 


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第121回深夜句会(6/21) [俳句]

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(選句用紙から)

ふるへてはさらにねぢれんねぢればな

小さく細い花であるのに、ちゃんと勢力を拡大して生命力にあふれているのがねじ花なのだけど、それが風でふるえるたびに、いっそうねじれていくように見える、という句。ピンクや紫の微細な旗のような花がぐるぐるねじれていて、それが風に揺れているというところが、実景でありながら少しファンタジーめいた雰囲気をかもしだしている。


オリーブの花の終ひの日曜日

「オリーブの花」で夏なのだろう。よく見ないと咲いていることに気づかないような小さな白いオリーブの花が、ようやく茶色く干からびるようにして咲き終わると、やがて実がつくのだけど、いつ咲き始めていつ咲き終わったのか判然としないようなオリーブの花の「終い」が下五と響きあう。たとえばこれが「山桜花の終ひの日曜日」とか「山茶花の花の終ひの日曜日」だと、どうもしっくりこない。


(句帳から)

予備校の窓より見ゆる茅の輪かな
総督府ゆつくり回る扇風機
梅雨寒や夜の水銀灯の色


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第120回深夜句会(5/17) [俳句]

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(選句用紙から)

耕運機の跡の斜めに代田かな

季題「代田」で夏。まだ苗を植える前の、水を張った田んぼに、それとわかる程度に耕運機の跡が盛り上がっている。なにげなく読むと「ふーん」で終わってしまうのだけど、耕運機の跡が盛り上がるのは、耕地の形が不整形で、耕運機がしばしば方向転換を強いられるからであることを思うと、「そういう田んぼが連なっている風景」が思い出される。

遠足の子をかきわけて降りにけり

季題「遠足」で夏。朝の通勤電車から下りようとすると、その駅から乗り込もうとする幼稚園児か保育園児が先生に連れられておそろいの帽子で、勢いよく乗り込んでくる。おいおい下りる方が先でしょ、と苦笑しつつも、「かきわけて」下りたのだった、という句。東京近辺でも、朝のホームに整列して、何本かあとの電車を待っている風景をよく見かける。

(句帳から)

順番に離陸してゆく夏霞
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番町句会(5/11) [俳句]

きのうまでの寒さから一転して、汗ばむ陽気。体がついていかない。

(選句用紙から)

二坪に満たぬ畑や麦の秋

どんな畑なのですかね。麦を植えていることからして、家庭菜園とかではないとすると、道路際とか斜面とかで、わずかな場所で一区画になっている畑(道路の拡張工事なんかで、もっと大きな田畑だったのが不自然な形の小さな区画になってしまっているような場所)であろうか。
その「二坪にも満たない」小さな畑に、全体が持ち上がるようにして麦が薄茶色に稔っている。小さな区画であるだけに、その立体感ともいうべきものが明瞭に感じられる。

春の雲風に押されて北へ北へ

南から北に風が吹いているのだろうか。「北へ北へ」という散文的な表現が一句の眼目でもあり、人によっては採れない理由でもあろう。「春の雲」にありがちなイメージとはちょっと違って、急速に吹き流されている雲の様子。

(句帳から)

十薬の蘂ことごとく上向きに
薔薇色の薔薇といふほかなき真紅
野茨の花の白さや校舎跡
蔓薔薇の白の濃淡連なれる

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