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第133回深夜句会(6/13) [俳句]

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(選句用紙から)

別に好きでもない映画明け易し

季題「明易し」で夏。深夜のテレビで放送されている、まあどうでもいいような映画を、見るでもなく消すでもなくぼんやりしていると、やがて外が明るくなってきた。
一読して、どうして「明易や別に好きでもない映画」としなかったのかと思った(そのほうがリズムもいいし、句意は変わらない)。しかし、これはもしかすると、あえて「別に」を句の頭に出したかったということではないだろうか。つまり、ツンデレ表現で「べ、べつにこんな映画好きでも何でもないんだからね!」と言わせたかった=本心は、昔見たその映画に、忘れがたい思い出があるのだ、という句ではないかと。その場合、句意はまったく逆になってくる。
しかし、そういう読み方って、世間で流行りのものの言い方を読み手が共有していることが前提になるので、もう10年早ければこの解釈は成り立たないし、もう10年遅いと、注釈(むかしツンデレ表現というものがあって…という注釈)が必要になってしまう。そういう意味では、俳句も散文と同様、時代の産物だ。

梅雨に入るいつもの駅にいつもの人

季題「梅雨」。「いつもの駅にいつもの人」がいい。これが「いつもの人が駅にいて」だと、街中でよく見かける人を、きょうは駅で見かけた、という意味になってしまう(ストーカー?)。
他の季題、例えば「若葉風」とか「秋日和」でもいける(つまり、季題が動く)ような気がするのだけど、この句はこの句で、梅雨時の、鬱陶しいのだけれど、それでいて寒く寂しい心持をすくいとって詠ったものとして納得できる。毎日雨が降るのだけど、通学か通勤かでいつもの駅のいつもの場所に並んで電車を待つ。面倒というか厭わしく感じるのだけど、ふと、いつも見かける人も同じ電車を待っているのが目に入る。あぁ、この人も、きょうも同じように電車を待っているのだ、という心持。

風鈴に機械の風の来ては去る

季題「風鈴」で夏。「機械の風」がいい。エアコンとか扇風機とか言わずに(それだと季重ねになるからでもあろうけど)、あえて、つるっとしてとりつくしまのない「機械の風」としたことで、本来の趣旨というか用法から切り離された状況でちりんちりんと鳴っている風鈴の困惑?ぶりがよくわかる。
「機械の風」って、口語でも言えそうで言えない表現だし、まして俳句にズドンと持ってくるのは、なかなか思いつかないところ。

(句帳から)

明易やいまみた夢をもう忘れ
十薬の広がつてをる線路際
駅前の生産緑地栗の花



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