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エリザベス・ストラウト『オリーヴ・キタリッジの生活』(小川高義訳、ハヤカワepi文庫) [本と雑誌]

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初めて読む作者なのだけれど、こういう心理描写があるのですね。見た目には大した事件も起こらないメイン州の田舎町の、1人の女性の周囲にこのような善意・悪意・怒り・嫉妬・愛情・無関心etc.が渦巻いている。それらの一つ一つが、いかにも納得させられるものでもある。読み進めるうちに、この女性(だけ)が特異なのではなく、どんな人の周囲にも、程度の差はあれ同様のことがあるのではと感じさせる。

繊細なようでもあり無神経のようでもあり、臆病にも傲慢にも受けとれるように描かれているため、単純な共感とか反発ができないところは、ちょっと三浦しをんに通じるものがあるかもしれない。

また、こういう作品を高く評価する(ピューリッツァー賞)アメリカのフトコロの深さも同時に感じさせる。日本語では他に『バージェス家の出来事』と『私の名前はルーシー・バートン』の2作品(いずれも小川高義訳、早川書房)しか読めないのが残念。

 


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第111回深夜句会(8/24) [俳句]

そう広くはない喫茶店で、句会のためにテーブルを占拠するのだけど、人数によってはテーブルの確保がたいへん。まあでも忙しい勤め人のための句会なので、みなさんギリギリで会社を抜け出してくるわけだから、2人しか来ないこともあれば10人来られる時もあるのは当然のなりゆきで、お店を貸しきらないかぎり根本的な対策にはならない。

(選句用紙から)

油彩画の光を止め丸茄子

茄子がいちめんにつやつやしている感じを「油彩画の光」と序したところがこの句の手柄。油彩画の光って具体的にはどんな感じなのかと尋ねられると(油絵具をいじったことがないので)ちゃんと説明できないのだけど、厚塗りの紫色の絵の具の表面がテカッているような感じか。確かに、あのテカテカを見ていると、野菜というよりなにかの人工物のように見える。

カフェあるといふ此の霧の森の奥

季題「霧」で秋。道の奥でなく「森の奥」といっているので、森の奥につづく細い道があって、そこを歩いていくとカフェがあるのだそうだ、さてそのカフェはどんなカフェなのだろう(お客も食材も、この細い道を通って徒歩で運ばれるのだろう)ということになる。もちろんいま立っている森の入り口からは、カフェは見えない。シューマンの「森の情景」のような一句。

(句帳から)

クレーンのゆつくり動く残暑かな
掃苔や遺恨といふにあらざれど
割箸の脚の不揃ひ瓜の馬
夕さればかなかなかなと裏の木戸

  
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