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上田信治句集『リボン』(2017、邑書林)を読む [俳句]

上田信治さんから、句集『リボン』をご恵贈いただく。ありがとうございます。

あとがきによると「この句集は六つの章に分かれています。ざっくりとした書き方の違いで、分けました。」とあって、実際さまざまな手法が試みられているのだけど、ベースにある「上田ワールド」とでもいうべきものは、どの章でもそう違ってはいないように思われる。

吾亦紅ずいぶんとほくまでゆれる

季題「吾亦紅」で秋。吾亦紅が揺れている、という句はいくらもありそうに思うのだけど、「とほくまで」がこの句の眼目。「大きく」とか「左右に」とか言わないで、わざわざ「遠くまで」と述べることで、あたかも吾亦紅がいまいる場所を遠く離れてまで揺れているかのような錯覚を覚えたり、そこまでいかなくあても「あっちのほうまで」揺れているという距離感が楽しめる。
また、吾亦紅は丈の低い草なので、「とほくまで」というと、作者の視点が草の高さと同じところにあることも感じられる。

水よりも汚れていたる氷かな

季題「氷」で冬。冬の川なのか池なのか、全部凍ってはいなくて、水面がのぞいているのだけど、その氷の部分が存外きたない。動いている水のときには気にもとめなかった濁りや浮遊物などが、いったん氷として固定されたとたんに、色や形としてまがまがしく目についてしまう。
氷は透明できれいなもの、というお約束があるとすれば、そういうお約束から遠く離れて、ただ眼前の事実として描くことで、氷の性状をよく言い得ている一句。

すぐそこに灯台のある葱畑

季題「葱(畑)」で冬。どういう葱畑なのかはわからないが、「すぐそこに」灯台があるというので、海が間近で、それも大都会ではなく灯台があるような地域だということになる。
葱畑の「すぐそこに」灯台があるので、畑のどこにいても灯台の白い壁面がどーんと視界に入ってくる。その白い壁と冬の青い空のコントラストがさらさらした感じで、葱畑の色と好対照。

ま上から見るガス工事冬の雨

「ま上から」がどこかは書かれていないが、歩道橋とかではなく、ビルの一室から見ているのだろう。そうすると、ビルが面しているその道路が掘り返されて、土の中からガス管が吊り上げられたり、新しいものが埋められたりしているのだけど、そこに冬の雨が降り注いでいる。その冬の雨のさむざむとした感じが、歩道を通りがかって見たときの風景から感じられるものとは違った意味で寒さとして感じられた、というところに眼目があるように思うし、読者の共感を得るのだと思う。

韮の花すこし歩けば沼だといふ

季題「韮の花」で秋。小さい白い花が初秋にいっぱい咲くのだけど、この句の場所はどんな場所なのだろう。すれ違う人が「ここからは見えないけど、このすこし先に沼がありますよ」と教えてくれたということから、国道とか県道というより、公園の散策路とか山道のような場所であろうか。近くに沼があるような水辺の森か野原を歩いている作者の立ち位置が、何も説明しなくてよく描いている。下五の字余り「といふ」も、他者の存在を強調していて効果的。




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番町句会(1/12) [俳句]

(選句用紙から)

寒の雨湛へ佛足石閑か

季題「寒の雨」で冬。寒中に降る雨。
もっとも寒い季節に降る雨が、お寺の境内であろうか、仏足石(石に刻まれた釈迦の足跡)にうっすらとたまっている。その仏足石も、降り注ぐ雨も、寺院の境内全体も、「閑か」だというのである。真夏や台風の激しい雨とは違う、静かに降り続く雨と、それを受け止めている静かな寺院の風景。

冬ざれの苑に娘と二人で来

季題「冬ざれ」。
春や秋には薔薇や桜が咲き誇って多くの人が訪れる庭園も、冬には花も乏しく、彩りにも欠けて人影もまばらになる。その庭園に、きょうは娘と二人でやってきた。父と娘でも母と娘でもいいのだけど、冬ざれという季題からは、父と娘が言葉すくなに時々やりとりをしている様子などが想像される。虚子の「我一語彼一語秋深みかも」(六百五十句)を思わせる一句。

(句帳から)

蝋梅をバケツに活けてブックカフェ
五叉路から車つぎつぎ春近し
かんじきの結はえられたるリュックかな

 
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