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番町句会(9/15) [俳句]

きょうのお題は「太刀魚」と「甘蔗」。

(選句用紙から)

雲黒く海昏き日も甘蔗

 「涙そうそう」の「晴れ渡る日も雨の日も」を連想するのだけど、国内でサトウキビを詠むとすれば、和三盆の原料となる竹糖を除けば、どうしたって沖縄のサトウキビ畑ということになる。で、青空とか青い海とかがお約束のようになってしまいがちなのだけれども、南西諸島はまた台風や過酷な気象条件の影響を受けてきた場所でもあって、そのようなサトウキビ畑も、またその場所の季節を形作る上での重要な事実である。

お隣も同じ間取や秋刀魚焼く

あまりによくわかる―映画のワンシーンを切り取ったような―句なので「つきすぎなのでは?」と議論になる。お隣も同じ間取り、ということからして、これは集合住宅、それも鉄筋のマンションなんかではなく、庭先で秋刀魚が焼けるような長屋(関西なら「文化住宅」か)ということになる。そのうちの1軒で夕餉に秋刀魚を焼いていると、その煙とかにおいとかが、隣にもその隣にも流れていく…という風景。しかし、そういう長屋に住んだり見たりしたことのない世代もいるかもしれず、そうすると、数十年後にはこの句も注釈が必要になるのだろうか。


(句帳から)

甘蔗畑の先に不意に崖
圏外となりて楽しき野路の秋

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藤岡陽子『手のひらの音符』(新潮文庫、2018) [本と雑誌]

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以前に友人から勧められてから、気になりつつ手にとる機会がなかった本が地元の書店の文庫平台に積まれている。腰巻きの惹句に「良い小説」とあるのはちょっと引っかかるところで、小説に「良い」「悪い」のモノサシを持ち出すのは違うと思うが、そう表現したくなる気持ちは、読んでみてよくわかった。

この小説には明確に「いい人」とか明確に「悪い人」というような人物は登場しない。それぞれが弱いところを持ちながら、なんとか道を模索していく過程で、助け合ったり傷つけあったりする、そういうストーリーが、読者の共感を得ているのだと思う。

また、俳人(のはしくれ)としては、季節の描写がよくできていて、それがストーリーに立体感をもたらしているところも見逃せない。例えば、
(以下引用)
窓の向こう側の新緑を、水樹は眺める。目に染みるような田んぼの緑が息をのむくらいに美しい。新幹線は滋賀を通過したところだ。東京を出てからまだ二時間も経っていないのに、光を帯びた瑞々しい田や畑が
果てしなく続いていて、それをぼんやり眺めているだけで固く張っていた心が緩んでいく。(p.64)
(以上引用終わり)

というようなところ。

あとがきを読んでみて、この作家には既に何冊も著作があることがわかったので、さっそくもう1作品、『いつまでも白い羽根』を読んでみることにする。

 

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第123回深夜句会(8/23) [俳句]

(選句用紙から)
 
咲きつげる木槿の白し登校日

季題「木槿」で秋。毎日咲いては散りまた咲いては散り、を繰り返す白木槿が、ひさびさの登校日にも咲いていた。「登校日」は、新学期最初の登校日とも、また夏休み中に指定された投稿日とも読めるが、季題が木槿であることからして、新学期が前面に出てくるよりも、夏休みの一日と読むほうが楽。この句の興趣は、詠み手が、いま目の前に咲いている木槿から、自分が登校していない、つまり登校日の前後の日々に咲いては散っている木槿を想像していること。

溝萩を背負ふてベンチの二人掛け

季題「溝萩」で秋。公園なのか生垣なのか、ベンチの背後の草むらに赤紫色の溝萩が咲いている。その溝萩を「背負うように」ベンチに二人が座っている。座っている二人が溝萩を「背負っているようだ」と見たところがミソ。

(句帳から)

二段重ね三段重ね雲の峰
秋雲の影が動いてゆく広場

  

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