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2018・第5回びわ100参加の記録①準備編 [ウォーキング]

リタイア(53km)で終わった第4回大会から1年。2回目の挑戦でなんとか完歩したいところ。

5月20日 今年の開催日程をHPで確認し、長浜のビジネスホテルを予約する。

7月1日  受付初日にエントリー。通常コースかアスリートコースか迷う。人数が少ないアスリートコースのほうが歩きやすそうだが、昼間の時間が長いほうが景色が楽しめることと、一度も完走したことがないのにアスリートコースはおこがましいでしょう、ということで通常コースでエントリー。

7月8日 大会本部からの告知で、今年から中間点での荷物一時引き出しができないことを知る(スタート時点で預けた荷物は、ゴールまで受け取れないということ)。

これは大幅なルール変更。これだと、後半分の行動食や着替えをスタート時点から持っていくか、途中のコンビニで購入しなければならないことになる。また、これまでなら中間点でリタイアした場合に限り、荷物を受け取って即日帰京することができたけれども、今後は
①大津か京都に着の身着のままで1泊して翌朝ゴール地点で荷物を受け取る 
②着の身着のままで帰京して荷物は着払いで送り返してもらう のどちらかになる。
スタートが午前9時から10時に繰り延べられたことも含め、計画を練り直さなければ。

・行動食は、5kmごとに20回補給と仮定して、スタート時に前半10回分を携行し、中間地点で後半10回分を補充することにしていたが、後半分はコンビニに依存するほうがよさそう。チャリティー大会なので、エイドステーションでいただく食べ物は計算に入れない。
・問題は着替え。中間地点に到着するのは19時ごろなので、預けておいた長袖シャツをここで引き出して着替えるつもりだったが、最初から持っていくか、いっそ着替えないことにするか…。また、ソックスは25kmごとに替える予定なので、中間地点で補給ができるなら1足携行すればいいはずが、全部持っていくとすると3足携行する必要があるわけで、これもどうしたものか…
・スタートが1時間繰り延べられたことで、各地点の通過予想(目標)時刻も1時間ずつ下がることになる。コンビニはずっと営業しているので、何時に通過しても影響なさそうだが、65.8キロ地点にあるスターバックスに、営業時間内に到達できないのが残念。カロリーの高そうなお菓子をいっぱい売っているのだが…

8月5日 彦根地方気象台のウェブページを読むと、「滋賀県の気候」というページに、秋の気候の説明として、以下のようなことが書いてある。
(以下引用)
太平洋高気圧の縁に沿って移動する台風はこの時期に日本に上陸しやすくなります。 さらに、台風が接近する際に吹き込む暖かく湿った気流によって活発化した秋雨前線が大雨を降らせることもあります。
滋賀県の北部に特徴的な天気のひとつに時雨があります。時雨は晩秋から初冬に多い現象ですが、10月にも起る事があります。
10月中頃になると大陸の乾燥した高気圧が次第に勢力を増し、日本付近に停滞していた秋雨前線が消えて秋雨の時期は終わります。
10月末から11月にかけては、勢力の強い移動性高気圧におおわれるようになり、秋晴れの日が多くなります。
(引用終わり)
まあそうですね。秋雨前線と台風さえ排除できれば、楽しい大会になるのだけど。
ちなみに「彦根の天気出現率」というデータで10月20日の項をみると、
 晴れ 63.6%
 曇り 18.2%
 雨  18.2%
となっていて、雨に遭遇する可能性は約2割ということか。2割…なにしろ距離が長いので、雨が降ると降らないとで装備がまったく違ってくる。両日とも晴天の予報であれば、極限まで荷物を軽くできるのだけど。

8月18日 久しぶりにトレーニング、といっても12kmの周回コースを歩くだけ。ところが、10km過ぎたあたりから両足のつけ根が痛くなってきて、タイムが大幅に悪化。原因がわからない。12.0キロを2時間15分。

8月25日 もう一度周回コースでトレーニング。今度は一定のペース(10分40秒前後)を意識して歩いたら、最後までうまく歩けた。11.1キロを2時間01分。

9月6日 周回コースの半分でトレーニング。インターバル走的に、1キロごとに、10分40秒ペースと9分50秒ペースを交互に歩いてみる。6.1キロを1時間02分。

9月16日 周回コースでトレーニング、最初から最後まで1キロ10分ちょうどのペースを維持して歩く。13.3キロを2時間12分。

10月2日 今年度の参加要領とコースマップが郵便で到着。第4CPの位置が83km地点から80km地点に変更されている以外、大きな変更はなさそう。また、ことしのコースマップは歩行者の知りたいポイントをよく押さえたコンパクトなものになっていて、これなら携行可能。だんだん楽しみになってきた。

10月7日 本番と同量の荷物を背負って周回コースでトレーニング。暑さでペースが上がらず、14.3キロを2時間23分。荷物のうち行動食の重量と容積が邪魔になるので、10回分ではなく8回分に減らし、35kmと40kmはエイドステーションでいただく食事で代用、55km以遠は道ばたのコンビニで調達することにする。タイムロスになるが、重量軽減のためには致し方ない。

10月13日 本番一週間前。気象庁と日本気象協会の週間予報をドキドキしながらチェック。どちらの予報も、両日とも晴または曇で降水確率20%。すばらしい。あとは、台風が発生しないことを祈るのみ(去年は、10月16日に発生した台風21号が、わずか5日後の10月21日(大会当日)に大雨を降らせている)。

20181015.png

10月15日 最悪のタイミングで風邪をひく。

10月18日 風邪が治らない。念のためクリニックを受診したが、医師に「100キロウォークに出てもいいですか」とは訊けなかった。薬をたくさんいただく。薬を飲みながら100キロウォークって、何をやってるんだかな感じだが、さっさとキャンセルする度胸もない。

10月18日 その後も予報は晴で変わらず、天気図的にもいい感じなので、去年とは逆に、雨の心配はないと判断して晴天用の装備だけを持参することに決める。それでも念のためにレインウェアの上下だけは入れることにするが、これが後で役に立つことになるとは。

10月19日 長浜に移動し、去年と同じ宿にチェックイン。ついでに、晩飯も去年と同じ店で食べる。おいしい店なのに、お客は最初から最後まで自分しかいなかったのがちょっと心配。

(②当日編 に続く)

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第124回深夜句会(9/20) [俳句]

(選句用紙から)

表彰式新たな霧に包まるる

季題「霧」で秋。「新たな霧」というからには、断続的に霧が出たり晴れたりしているのだろう。平地でもそういうことがないわけではないけど、山がちな村とか、あるいは山の中とか、そんな場所が想像される。
そこへもってきて「表彰式」というと、これはどういう状況なのか。山奥の小さな学校の運動会とか、トレールランニングの大会の表彰式とか、そんな状況だろうか。
で、競技中も霧が出たり晴れたり(で競技の模様が見え隠れしていた)だったのが、全部終わってさあ表彰式という今になっても、やっぱり霧に包まれてよく見えない、というのが面白い。

ふらふらと来て秋の蚊に食はれけり

季題「秋の蚊」。ふらふらと来たのは秋の蚊なのか、それとも食われた人なのか、そこが定かでないが、秋の蚊であれば「来て」でなく「来た」とか「来し」とするだろうから、人がふらふらと来たのだろう。「ふらふらと」は病気でもなく、体の支障でもなく、酔っ払って歩いているのだろうか(そのほうが、蚊に食われることとは整合する)。

古井戸に湛へし秋の水の面

(句帳から)

病院の前のバス停秋の暮
技術部の芋煮営業部の芋煮
露月忌や大河に面し船着場



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シャイニング丸の内氏はなぜ誤ったか [雑感]

(いきなり引用)
shimaru365.png
(引用終わり)

いささか旧聞に属する論争のきっかけは、このツィートだった。
ギャグでも炎上芸でもなく、大まじめと受け取れる投稿ぶりだったので、多くの反響があった。
反響の一例として、以下のものを引用して紹介する。

〔勉強したい人が選択すればいいんじゃないの、という賛同(高橋雄一郎氏)〕
(以下引用)
高橋雄一郎 @kamatatylaw 話題の古文漢文不要論だけど、講義時間や必修選択の別といった中高カリキュラム編成の問題に過ぎないのに、学問価値優劣論や文系理系相互の蔑視感情やコンプレックスが交錯して冷静な議論から逸脱する傾向があるよね。 7:18 - 2018年2月22日 教養にも若いうちに強制的に教えこまなければならない教養(甲)と、学びたい人が必要性に応じて学べれば足りる教養(乙)があって、古文漢文はどちらかという問題ではないか? 15:29 - 2018年2月21日 若いうちに強制的に教えこまなければならない教養(甲)はパターナリズムを根拠とする。善悪の別や行動原理、忍耐力、キレない心と折れない心、健康管理、性教育、読み書き計算、柔道の受け身、自転車の運転、水泳、逆上がりぐらいではないか。 15:24 - 2018年2月21日 (以上引用終わり)

〔漠然とした教養としてではなく、漢文も日本語の基礎だからビジネスシーンで実利的に役に立つのだ、という反論(安田峰俊氏)〕
(以下引用)
本記事ではあえて、「現代日本の日常生活およびビジネスシーンで有用」「効率性の向上やカネ稼ぎにつながる」という実利的視点のみから、漢文や中国古典の基礎的な知識を持つことのメリットを論じてみることにしたい。 (1) SNSの投稿やショートメッセージがスマートになる (2)情報伝達コストを下げられる (3)法的リスクへの対応力を強化できる (4)海外の偉い人に接する際の売り込みツールとして威力を発揮する的リスクへの対応力を強化できる 日本語の基礎には漢文と漢文法が深く食い込んでおり、一般的な日本人の教養のベースの一部には中国古典が存在する。その先に広がる「応用」の知識を取りこぼしなく身につける地ならしとして、基礎として学んだほうがいいものなのだ。
(以上引用終わり)

この議論の難しいところは、ここでいう「教養」とは何か、またそれが、「仕事で役に立つ」とはどういう意味なのかがきちんと定義されていないので、主張と主張がきちんと噛み合わないことにある。
そうではあるが、もともとのtweetは、「高等学校の他の科目と比べて古文漢文の重要性が低い」という趣旨と思われるので、これに反論するにあたっては、仮にこのtweetが根拠薄弱な感想のようなものであったとしても、一応根拠を示して反論することが望ましいわけで、シャイニング氏に馬鹿というレッテルを貼って終わりにするのは、あまり感心しない。

そこで、あえて正面切って「漢文や古文も他の科目と同様に重要なもので、仕事にも大いに役に立つのだ。」という説明をしてみたい。つまり、上記安田氏と結論においては同じになるわけだが、理由を別の角度から提起してみる。

古文漢文は仕事の役に立つか。役に立つ。理由は以下のとおり。

仕事にはいろいろな分類があるけれど、職種とか業種とかの分類でなく、どんな職種や業種でも、「前例のない問題に対処しなければならない」という仕事があるはずだ。

仕事の困難度って簡単には測定できないし、ノルマがきついとか納期が短いとか、そういう困難もいろいろあるのだけれど、やはり「先例がない、かつて経験したことのない問いに、答えを出さなければならない」というような仕事は、まず難しいものといって差し支えないだろう。
例えば、
 ・貨幣の時間的価値はマイナスになりうるか
 ・これまでになかった取引形態(例えばストックオプションとか)の仕訳をどう切るのか
 ・自動運転の車が起こした事故の責任はどこにあるのか
 ・尊属殺重罰規定は法の下の平等に反するか
などなど。

そのような問いには、あらかじめ決まった答えがなく、先例もなく、個別の知識が単品では役に立たない。
そんなとき、どうやって答えを導いていくかというと、もっと漠然とした、さまざまなジャンルのことがらの中から、過去の人々が、どんな状況でどんなことを考えていたのかを通じて、「真善美」のような漠然とした尺度を抽出し、それを参考に―その尺度もまた絶対ではないので、あくまで参考に―して、答えを導いていくしかないと思われる。

で、古典文学というのは、数百年とか数千年にわたって、人々から一定の支持を得てきた思想や感情の表現であるわけだから、真善美のような尺度を各自が心のなかで作り上げていく上で、控えめに言っても有用な、もっといえば不可欠なものではないだろうか。

そうすると、古典文学を学ぶことは、結局のところ、どこかで上記のような難しい問いに直面したときに、答えを導く助け(のベース)として、一定程度有用といえるのではないか(古典文学だけが有用だと言っているのではないので念のため)。
古典文学と似たような例として、オーウェルの「1984年」とか、事件でいえば南海泡沫事件やチューリップ球根事件なんかも、尺度を作り上げていく上で有用だけれど、こちらはもっと直接的に「会計監査の意義」とか「公文書改ざん」についての考え方を提供してくれる。

いずれにせよ、これらは、知っているといないでは対応に大きな違いが出てくるだろう。以上のことから、古文や漢文など「古典」と呼ばれるものは、試験に出る出ないにかかわらず、困難度の高い問いに対処するために必要なものだと結論づけることが可能だ。


傍証として、ちょっと違う角度から、「前例のない状態に置かれた人間が、古典文学やこれに類似したものを学ぼうとした」実例を挙げてみたい。

一つは、ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航訳、エディトリアル・リパブリカ、2018)に描かれた、旧ソ連にあったポーランド兵収容所で行われた講義の模様である。
収容されていたポーランド軍将校は、それぞれに「書物の歴史」「イギリスの歴史」「建築の歴史」「南米について」「プルーストについて」といったテーマを持ち寄って、講義を行ったという。
(以下引用)
「いまでも思い出すのは、マルクス、エンゲルス、レーニンの肖像画の下につめかけた仲間たちが、零下四十五度にまで達する寒さの中での労働のあと、疲れきった顔をしながらも、そのときわたしたちが生きていた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて、耳を傾けている姿である。」(pp.16-7) 「わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる、と証明してくれるような知的努力に従事するのは、ひとつの喜びであり、それは元修道院の食堂で過ごした奇妙な野外授業のあいだ、わたしたちには永遠に失われてしまったと思われた世界を生き直したあの時間を、薔薇色に染めてくれた。  シベリアと北極圏の境界線の辺りに跡形もなく消え失せた一万五千人の仲間のうち、なぜわたしたち四百人の将校と兵士だけが救われたのかは、まったく理解できない。この悲しい背景の上に置くと、プルーストやドラクロワの記憶とともに過ごした時間は、このうえなく幸福な時間に見えてくる。」(pp.17-8)
(以上引用終わり)

もう一つは、山崎正和『文明の構図』(文藝春秋、1997)に描かれた、「敗戦後の旧満州の中学校の暗い仮設教室」で行われていた授業の様子である(原典を入手できず、鷲田清一「京都の平熱」(講談社学術文庫、2013)からの孫引きとなることを許されたい)。
(以下引用)
外は零下二十度という風土のなか、倉庫を改造した校舎は窓ガラスもなく、不ぞろいの机と椅子しかない。(…)引き揚げが進み、生徒数も日に日に減るなかで、教員免許ももたない技術者や、ときには大学教授が、毎日、マルティン・ルターの伝記を語り聞かせたり、中国語の詩(漢文ではない)を教えたり、小学唱歌しか知らない少年たちに古びた蓄音機でラヴェルの「水の戯れ」やドヴォルザークの「新世界」のレコードを聴かせた。そこには、「ほとんど死にもの狂いの動機が秘められていた。なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳を失うだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思ったおとなたちは、ただ自分ひとりの権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかった。」(p.157) (以上引用終わり)

ここで「中国語の詩」についてわざわざ「漢文ではない」と補足されているのは、戦前の学校教育との違いを強調する趣旨なのか判然としないが、ともかくこれらの実例は、前例がなく明日死ぬかもしれないという状況で、そのような極限状況を受け止める(受容するにせよ、反発するにせよ)ときに必要なものは、むしろ古文や漢文のような学問であることを示しているのではないか。

以上のようなことから、古文漢文は他の教科と並んで、遅くとも高校までに学んでおくべき価値のひとつ(高橋雄一郎氏の分類に従えば「教養(甲)」)であると考えるものである。

最後に冒頭の問いに戻って、シャイニング丸の内氏がなぜ誤ったか(つまり、なぜ、高等学校で古文や漢文を学習する必要がないと感じてしまったか)といえば、それは、氏がこれまで、残念ながらその程度の仕事、つまり一つの問いに対して一つの答えを用意すればいい程度の仕事しかしてこなかったから、ではないだろうか。


(7.11追記)
藪柑子の通っていた高校には当時、1年間かけて「徒然草」を1段ずつ順番に読んでいく授業(必修だったか選択だったかは覚えていない)があって、3年間のなかでも指折り数えられるぐらい印象に残る授業だった。当時副読本に使っていた安良岡幸作「徒然草全注釈」上・下(角川書店、1967)は、就職して実家から出るときに荷物に入れ、その後何度も何度も引越しをした末に、今も本棚にささっている。
何が言いたいかというと、少なくとも自分が職業人として生きていく上で背骨となるぐらいの影響を、たった一つの作品からだけでも受けたということであり、かつ、それは高校の授業できちんと読み込むことではじめてそうなったのだということだ。シャイニング丸の内氏にそうした古典との出会いがなかったとすれば、上記のような「現在従事している仕事の内容や程度」もさることながら、その感受性や理解力(少なくとも、高校時代の感受性や理解力)についても疑問が浮かぶところであるが、それはこの稿の本題ではないので省略する。


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