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第135回深夜句会(8/22) [俳句]

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いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」で、クロカンSサイズをいただく。

夏休みにもかかわらず(夏休みなので、だろうか?)、にぎやかな句会に。

(選句用紙から)

夏と同じ秋の帽子を売りにけり

冬帽子とか夏帽子という季題はあるが、秋帽子とか春帽子という季題はない。もちろん、帽子という季題もない。で、お店ではいつでも帽子を売っているわけだけど、当節こんな気候なので、秋になっても店頭には、夏と同じ帽子(速乾性とかUVカットとか、そんな機能を売りにした帽子であろうか)が売られている、という一句。地球温暖化とか大上段に振りかぶらずに、さらっと「夏と同じ秋の帽子」としたところが眼目で、その行き過ぎない諧謔味や、まあそうだよね、という苦い笑いが楽しい。


流星の夜空にふれて消ゆるかな

季題「流星」で秋。地上から流星を見ていると、夜空の一点からスタートした光が一瞬のうちにすばやく動いて、夜空の別の一点で消えるように見えるわけだが(消える直前に激しく輝くこともある)、それが、「夜空から夜空」ではなく、夜空ではないどこかからスタートして、夜空に「ふれて」消えた、という受け止めかたが独特。夜空でないどこか、とはどこなのだろう、などと考えさせる。

(句帳から)

貼紙をして仏壇屋夏休
八月の夜の街頭温度計
秋暑し二本つづけて通過して


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番町句会(7/12) [俳句]

(選句用紙から)

静かなる雨の窓辺の金魚草

季題「金魚草」で春。「静かなる」がどこにかかっているのかよくわからないのだけど、あえて全体にかかっているように読ませるねらいだとすれば、おおむね成功しているように思う。春の静かな雨、窓の外で濡れながら揺れている金魚草(この場合、金魚草の色が黄色やピンクといった、明るく華やかな色であることが一句に効果をもたらしている)、これらが総じて「静か」だという読み方。異論はあると思うが。


灯台へ近づいていく日傘かな

季題「日傘」で夏。映画のワンシーンのようだが、日傘の白、灯台の白、夏空の青といった要素と、灯台へ「近づいていく」というところ。観光地の有名な灯台でも悪くはないのだけど、人里離れた灯台に、近くの官舎に住む灯台守の家族がお弁当を運んでいるなどという(友人の灯台が稀な存在となった今では歴史的な)風景だと、日傘がたった一人で歩いている様子が際立つので美しい。

(句帳から)

夜濯や廊下の長い社員寮
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第134回深夜句会(7/11) [俳句]

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いつもお世話になっている「マメヒコ」で、チリコンカンのホットサンドをいただく。おいしい(あまりおいしそうに写っていないが…)。
外は雨。気温が低いので、真夏の句がうまく詠めない。

(選句用紙から)

ファーブルがかぶったやうな夏帽子

季題「夏帽子」。ファーブルがいつごろの人物なのか、実はよく知らないのだけど、歴史上の人物の姿って、限られた絵や写真でしか知ることができないので、「芥川龍之介といえばこんな格好」とか「ベートーヴェンといえばこんな格好」のように、顔や装束が固定されてしまうのですね。
で、ファーブルの写真というと、たしか丸くて黒っぽい帽子をかぶっていた姿を国語の教科書で見たような気がする。いま試みにgoogleで検索してみると、実際その通りなのだけど、ただこれは夏帽子なのか、一年中この帽子なのか定かではないけれども。
この句の面白いところは、野外で昆虫を観察することに生涯をささげたファーブルだから「夏帽子」が活きてくるということ。これが例えば「シューマンが」とか「ラッセルが」みたいなインドア系の人だったら、たとえ夏帽子をかぶった写真があっても、俳句として面白くないわけだ。

梅雨寒の第一団地前通過

季題「梅雨寒」。通過するのはバスで、詠み手はそのバスに乗っている。第一団地というからには第二団地もあるのだろうが、かつてはたくさんの働き手や学生やこどもが住んでいる(いた)はずの第一団地なのに、今では乗り降りする人さえおらず、バスも通過してしまう。雨の中、うっすらと寒いこの風景は、大げさにいえば、高齢化が進んだ「いまどきの日本の団地」なのだろう。そのように説明するのでなく、眼前の事実をもってそれを表した一句。なお、一軒家が立ち並んでいる造成地を「団地」と呼ぶこともあるが、ここでは集合住宅が何棟も並んでいる風景を思い浮かべた。


(句帳から)

梅雨寒や湯沸室の立ち話
水草の花のあひだの幼魚かな
会議室の西日しだいに耐へがたく


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第133回深夜句会(6/13) [俳句]

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(選句用紙から)

別に好きでもない映画明け易し

季題「明易し」で夏。深夜のテレビで放送されている、まあどうでもいいような映画を、見るでもなく消すでもなくぼんやりしていると、やがて外が明るくなってきた。
一読して、どうして「明易や別に好きでもない映画」としなかったのかと思った(そのほうがリズムもいいし、句意は変わらない)。しかし、これはもしかすると、あえて「別に」を句の頭に出したかったということではないだろうか。つまり、ツンデレ表現で「べ、べつにこんな映画好きでも何でもないんだからね!」と言わせたかった=本心は、昔見たその映画に、忘れがたい思い出があるのだ、という句ではないかと。その場合、句意はまったく逆になってくる。
しかし、そういう読み方って、世間で流行りのものの言い方を読み手が共有していることが前提になるので、もう10年早ければこの解釈は成り立たないし、もう10年遅いと、注釈(むかしツンデレ表現というものがあって…という注釈)が必要になってしまう。そういう意味では、俳句も散文と同様、時代の産物だ。

梅雨に入るいつもの駅にいつもの人

季題「梅雨」。「いつもの駅にいつもの人」がいい。これが「いつもの人が駅にいて」だと、街中でよく見かける人を、きょうは駅で見かけた、という意味になってしまう(ストーカー?)。
他の季題、例えば「若葉風」とか「秋日和」でもいける(つまり、季題が動く)ような気がするのだけど、この句はこの句で、梅雨時の、鬱陶しいのだけれど、それでいて寒く寂しい心持をすくいとって詠ったものとして納得できる。毎日雨が降るのだけど、通学か通勤かでいつもの駅のいつもの場所に並んで電車を待つ。面倒というか厭わしく感じるのだけど、ふと、いつも見かける人も同じ電車を待っているのが目に入る。あぁ、この人も、きょうも同じように電車を待っているのだ、という心持。

風鈴に機械の風の来ては去る

季題「風鈴」で夏。「機械の風」がいい。エアコンとか扇風機とか言わずに(それだと季重ねになるからでもあろうけど)、あえて、つるっとしてとりつくしまのない「機械の風」としたことで、本来の趣旨というか用法から切り離された状況でちりんちりんと鳴っている風鈴の困惑?ぶりがよくわかる。
「機械の風」って、口語でも言えそうで言えない表現だし、まして俳句にズドンと持ってくるのは、なかなか思いつかないところ。

(句帳から)

明易やいまみた夢をもう忘れ
十薬の広がつてをる線路際
駅前の生産緑地栗の花



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第132回深夜句会(5/23) [俳句]

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(選句用紙から)

カウボーイ風の藺帽子少し変

季題「藺草」で夏。藺草で編んだ帽子、それもカウボーイハットのような帽子をかぶった人がいるのだけど、何しろ藺草であるからして、編み目が表に現れたりしていて、なんだか妙ちくりんな感じ。その違和感を「少し変」と言い切ったところがこの句の眼目。こういう口語的な表現って、できそうでできない。

薫風や大道芸に百人余

季題「風薫る」で夏。大通りか広場かで大道芸が行われていて、そこに人だかりがしている。広い場所全体に薫風がふきわたっていく心地よい感じ。「百人余」か?「百余人」か?と質問してみたところ、「百余人だと百人とちょっと、つまり103人とか105人とかのニュアンスだけど、百人余だともう少し多い110人とか120人のニュアンス。だからこの句は百人余でよいはず」なるほど。

働けるいまが幸せ緑さす

季題「新緑」で夏。検討のしがいがある句というか、上五中七まで一気に言っている内容と、下五の季題がどう結びつくのか考えどころ。教科書的?には、新緑の生命感とかエネルギーにあふれた感じがそれと結びついているということになるのだろう。他方で、季題が動くのではないかという指摘もありそう。「鰯雲」とか「島の夏」とか「里の春」とか。
鈴木真砂女の「今生のいまが倖せ衣被」を連想させるという感想も。それを受けて「でも、あの句よりこちらのほうがいい」という意見も。私もそう思う。衣被の句は、まとまりすぎていて、俳句という形式の可能性について誤解を招くというか、そういうことを言うのが俳句だと思われてしまうのがいやだ。いや、もちろん、そういうことも言おうと思えば言えるのが俳句なのだけど、そのために俳句があるわけではないということ。

(句帳から)

順番に官舎壊され花茨
三条のスターバックス川床涼み
麦熟れてみつしり揃ふ色とかたち
オリーブのわづかな花芽わづかに黄


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番町句会(4/12) [俳句]

締切ギリギリに到着してみると、きょうのお題は「復活祭」。
さて困った。

(選句用紙から)

復活祭の御堂やいまも畳敷

明治時代に建てられた礼拝堂なのか、それとも江戸時代の「隠れキリシタン」のお堂なのだろうか。「いまも」お堂の中が畳敷きだという、その「いまも」のあたりに歴史や事情が感じられるところ。畳に正座して礼拝をとりおこなうことって、私は経験したことがないのだけど、どんな感じがするものだろうか。

船で来る復活祭の神父かな

長崎の離島の教会とかでしょうか。ここで「船」がどんな船かは描かれていないので、漁船に便乗して渡ってきていると読んでもよいし(面白い)、観光客や転勤者といっしょにフェリーでやってくると読んでもよい(これも面白い)のだけど、「神父が島にやってくる」というシチュエーション自体が、そこに根付いた信徒さんの文化(しかし神父が島の教会専従ではないことからして、それほど巨大な島ではなさそうな前提も)を想像させる。

シャンパンの瓶を重しに花筵

季題「花筵」で春。お花見の敷物が風で飛ばないように、そのへんの石を置いたり、缶ビールを置いたりするのだけど、シャンパンの瓶を置いたというのですね。理屈をいえば、シャンパンの瓶はガス圧に耐える分だけワインボトルより厚くて重いので、重しに向いているのだけど、そういうことをいちいち言わなくても、オッサンの花見でないことがうかがわれるわけで、おつまみも洒落たものだったりするのだろう。いいですね。

(句帳から)

街の灯を映して春の夜の雲
ママ友の送別会の花見かな
椿寿忌や左手頬にあてたまま
花冷や水銀灯の青光り
イースター・エッグ遺され書類棚

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第131回深夜句会(4/11) [俳句]

急に寒さがぶり返して、立春とはいわないまでも、春浅い2月中旬のような感じ。

(選句用紙から)

犬をらぬ犬小屋のあり花は葉に

季題「葉桜」で春。犬は散歩に出ているのか、もうこの家にいないのか。後者ととりたい。もう主のいない犬小屋は、それ自体が季節感をもたらすものではないけど、そこへ「葉桜」で、庭に植わっているのか街路樹なのかはわからないが、花から葉桜になって、庭が、つまり犬小屋の周囲が、少し「暗くなってきた」ことと、犬がもういないことが響きあっているように感じられる。春愁という季題にも通じる感じ。

納品を終えて仰げる桜かな

「納品を終えて」がいい。
「納品」であって「納入」じゃないので、形があって、かつ、そんなに大きくないものなのだろう。事務機器とか食料品とかを小さな会社に納品して、そこから外に出たところで、道路に桜が咲いている、というような風景。ものすごく大きなビルだと、納品は納品だけど、納品を終えて外に出るまで時間がかかるし、やっと外に出ても、ビルのほうがずっと大きいから、この句のような「仰ぐ」感じになかなかならない。
また、個人の住居だと、わざわざ「納品」と言うこと自体が大げさな気がする。


紺色の肩の花屑触れもせず

季題「花屑」で春。紺色の、は花屑にかかるはずがないので、肩にかかるとすると「紺色の肩」って何だとなるのだけど、ブレザーか、紺色のワークシャツなのだろう。で、その恰好で桜の下を通りすぎた人の、肩のあたりにふと花片が落ちて止まった。しかしその人は、その花片に気づいたのか気づいてないのか、それに触れもせず歩み去ってしまった。なんでもないことのようだが、そこに詩情があるのですね。
また、ここで「触れもせず」を、「隣で一緒にいた自分」のこととして鑑賞すると、一句の感じはぐっとロマンティックなものになる。

(句帳から)

花筏善福寺川蛇行して

 
  
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番町句会(3/8) [俳句]

きょうのお題は「蜆」。

(選句用紙から)

蜆掻バカ長穿いて出戻りで

季題「蜆掻」で春。川なのか湖なのか、胴まである長靴(バカ長)をはいて水に入り、柄のついた鋤簾(じょれん)で水底から蜆を掻きとっているのだけど、詠み手はその女性を知っている。彼女は一度は嫁いだけど実家に戻ってきて、こうして蜆掻きをしているのだ。しかし彼女に向ける詠み手の目は暖かい。春先の、空気の寒さと水の寒さが「出戻り」と微妙に響きあっているところがこの句の眼目。

ウェイターの一人専ら蠅払ふ

季題「蠅」で夏。レストランだか食堂だかに入ったら、そこにはウェイターやウェイトレスが何人かいたのだけど、その中の一人が、もっぱら蠅を追い払う役目を仰せつかってあちこち歩きまわっている。人件費の高いところではそんなことはできないので、そういうことが可能な南の国、ということだろう。半ばうんざりしつつも、半ば面白がっている詠み手の視点が感じられる。


ミッキーとミニー在(ましま)す内裏雛

季題「内裏雛」で春。「まします」とは強烈な皮肉。こんなものを有難がってどうするんだよ、という詠み手の声が聞こえてきそう。俳句の表現としてギリギリのところに踏みとどまっている。
しかし、これを皮肉と受け取らない人もいるのかしら。それは、詩人としての想像力に欠けると言われても仕方がないのでは…というより、これが皮肉や嫌悪でなかったら、この句は全然面白くないわけで。


(句帳から)

春泥にテントをたたみ次の町へ
三月のポストの底に当たる音
蜆汁石山寺へ続く道

 
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第130回深夜句会(3/14) [俳句]

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カフエ「マメヒコ」には大きな連翹が活けられている。カフェの照明の色とよく響きあっていて、とても好ましい。

深夜句会はきょうでめでたく130回。

(選句用紙から)

先生が言訳をしてあたたかし

季題「暖か」で春。先生が言い間違いだか(板書の)書き間違いをして、それを生徒に指摘されて
むにゃむにゃ言っている。そのむにゃむにゃを好意的に受け止めている生徒。先生との信頼感あるいは適度な距離感のようなものがあって、それが醸成された学年末という感じがする。
このように句評したら、「いや、むしろ年度初めの授業でで、こんな先生がいた!という発見の句のように読める」という指摘があった。なるほど。そう言われればそんな気もする。

春の夜の酒の肴のさつまいも

これは詠めそうで詠めない句。「春の夜の酒の肴の」と煽っておいて、さあ何が来るかと待ち受けていると、さつまいもが来るという趣向。これが「里芋」だと当たり前すぎるし、「じゃがいも」でも当たり前かつビールの肴でしょ、ということになるのだけど、大学芋みたいな甘いものをつつきながら、一人で酒を飲んでいる風景が、なんとも自足した感じで心地よい。

(句帳から)

連翹にわづかに兆す緑かな
連翹に幹といふものなく黄色
永き日の音楽室の肖像画


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第129回深夜句会(2/14) [俳句]

いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」のメニューから「マグ茶」が消え、出てきたお茶を楽しむことができなくなってしまったが、それぞれのお茶がおいしいことに変わりはないので、引き続き紅茶をお願いする…といいつつ、きょうはおよそ10年ぶりの「牛乳珈琲」。

(選句用紙から)

粉雪の虫のごとくに曲がりけり

季題「粉雪」で冬。粉雪の動きについての句で、強風でないときの粉雪の動きにちょっとしたゆらぎがある様子をうまくとらえている。強風だったら一方的に流れていくだけなのだけど、無風に近いときには、まっすぐ落ちるかに見えつつも、地表近くのちょっとした風を受けて、あたかも羽虫か何かのように不規則に動くのですね。
ここで「曲がる」ということばが、右に曲がるとか左に曲がるとか、はっきりとした意図をもって行き先を変えているように読めるという意見もあって、それはそうなのだけど、あっちへ曲がりこっちへ曲がりする様子としては、これでもいいのではないかと。


受験生下宿のチラシ受け取れる

季題「受験(試験)」で春。入学試験を終えた受験生(実景では試験に臨む受験生だったそうだが)に不動産業者が近隣のアパートやマンションのチラシを配っている(昔風の賄い付きの下宿屋ではないのか、と問われそうだが、試験会場でそこまでやるのは不動産屋でしょう)。で、この句の面白いところは、それを受け取る受験生の、わずか数秒の心の動きが自分でも追体験できるところ。つまり、試験に落ちればチラシなんか無用の長物どころかいまいましい代物なのだけど、めでたく合格していれば一刻も早く物件を探しに行かなければならないわけで、受け取るか否かを考えている数秒間が必ずあるはず。

如月のチョークの白のすべりたる

「すべりたる」の句意はどちらにあるのか。つまり、きょうは黒板に文字がかみあわず、しばしば滑った(ので板書がしにくかった)ということだったのか、寒さでかじかんだ手からチョークが滑り落ちたか、どちらとも読めそうだ。私は後者で読み、二月のあわただしさとか焦燥感みたいなものを描いているのではと考えたが、合評で出た意見は、それなら「白のチョーク」とするはずだ、というもの。チョークの白、というからには、白に焦点をあてている意図があるはずと言われればそんな気もするが、それだと、二月とのつながりはなくてもよいことになってしまうわけで、悩ましい。

(句帳から)

強東風や工事現場に水撒いて
同じ向き同じ傾き福寿草

  
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番町句会(2/8) [俳句]

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きょうのお題は「春時雨」。
「時雨」とも「秋時雨」とも違う「春時雨」をどう詠むか考えどころ。

(選句用紙から)

たてもの園宿根草園日脚伸ぶ

季題「日脚伸ぶ」で冬(晩冬)。
大きな公園のような場所で、その一角に「たてもの園」(古民家などを移設したのであろうか)があり、また別の一角には「宿根草園」がある。それに出入りしながら移り歩いていると、ひと月前ならもう暗くなっているような時間になっても、まだ明るくて、もう少し園内を歩くことができる。
この句の眼目…というか狙いはちょっと普通でなくて、「たてもの園」と「宿根草園」という、MECEでないものをわざとぶつけてくるところにある。本当は「たてもの園」の横に「建物附属設備園」とか「構築物園」とか…は冗談、まあ「のりもの園」とか、建物と並列できる程度「〇〇園」もあるのだと思うけど、全然そうでないものを並べて、その気持ち悪さを楽しむ(そういう場所が実際にありそうなだけに)という一句。同様に、「一年草園」「宿根草園」とかなら、まあどこかの植物園なんでしょう、で終わりなのだけど、わざと外すわけですね。

スカールの戻つてきたる春時雨

季題「春時雨」。スカールは「シングルスカル」とか「ダブルスカル」などと呼ばれる競技用のボートで、乾舷が小さく、静かな水面でないと漕げないから、湖とか川、たとえば瀬田川なんかが想像される。見え隠れするほど濃密に降り注ぐわけではないのだけど、降っては止んでの中を、雨に濡れたスカール(漕ぎ手も濡れている)が艇庫に戻ってきた。

春の風邪薬がはりの一二冊

「風邪」は冬の季題だが、ここでは「春の風邪」なので、その気分を描いた句になっているかを考えると、薬を飲むでもなく、文庫本を一二冊携えてソファーで楽にしていよう、という程度の風邪なのだろう。「薬がはりの一二冊」がいいですね。どんな本なのか。古典なんかが連想されるのだけど。


(句帳から)

駅前に本屋と飲み屋春時雨
焼菓子のにほひ流れて日脚伸ぶ
あらかじめ間引き運転春の雪

  
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第128回深夜句会(1/24) [俳句]

番町句会をお休みしてしまったので、これが2019年の初句会。

(選句用紙から)

落葉道落葉豊かな方歩く

季題「落葉」で冬。この「落葉道」が広い歩道なのか、公園なのか、それとも山道なのか定かでないが、落ち葉を踏んで歩いて楽しんでいる心の弾みが句になっていて快い。さくさくとかぱりぱりといった音が聞こえるようだ。落葉道、とした上で、もう一度「落葉豊かな」と重ねているところも周到。

ゆるやかに曲がりて鴨のひとならび

季題「鴨」で冬。ただの「ひとならび」でなく、ゆるやかに曲がりて、としたことで、自然の作為というか、天然のありようをうつしだすことに成功している。ここでは、縦一列になってるのか横一列に広がってるのかは示されていないが、おそらく縦一列で、それがまっすぐでなく、すこし曲がった列になっているのだと思われ、また、それだけの広さのある水面であることも判る。

油揚げ突(つつ)く鴉や寒施行

季題「寒施行」で冬(1月)。なんともいえない哀感というべきか、油揚げがカラスにつつかれてしまうわけですね。しかし識者によれば、カラスは全部を食べてしまうのではなく、もっと序列が下の鳥が食べられる程度には残すものだというが。



(句帳から)

歩道から車道に下りて寒雀
紙漉くや眼下はるかに村役場
寒月がスカイツリーのうしろから



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番町句会(12/14) [俳句]

今年の納め句会。お題は「潤目鰯」「顔見世」。

(選句用紙から)

顔見世の役者が朝の食堂に

季題「顔見世」で冬。「顔見世」は京都南座で毎年11月に開かれる興行で、ことしは特に南座発祥四百周年なのだそうで、盛大な興行だったことだろう(残念ながら、行ったことがない)。
で、当節は役者も江戸から京都へゆくことになるので、その宿として松竹が割り当てたホテルなり、それぞれの定宿なりにずっと逗留するわけで、同じ宿にたまたま泊まっていた客が朝食をとっていると、ふと顔をあげた先に役者の姿が見える、という一句。そこで誰も声をかけたりせず、静かに朝食の時間が進んでいくのは当然のお約束。

自転車のカゴから葱が突き出して

季題「葱」で冬。ビニール袋やエコバッグから突き出している葱は目に留まりやすいので、しばしば詠まれることになる。したがって、どこかに類句を見つけることができるかもしれないが、あえて見たままを詠んだものだろう。「突き出せる」でなく「突き出して」なので、それでどうなったの、という続きがあるのだけど、上五には何も指示がないので、「そのまま走り去ってしまった」と受け取るのだろう。


(句帳から)

湖の沖に島影夕時雨
冬の月右岸左岸の遊歩道
顔見世や橋渡るとき風強く

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第127回深夜句会(12/13) [俳句]


いつもお世話になっているカフエ「マメヒコ」のドアノブにかけられた飾り。

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(選句用紙から)

ボーナスの日にあつまりて同期生

季題「ボーナス」で冬。ちなみに夏のボーナスは「夏ボー」…だろうか。
ボーナスの日に、同期入社の何人(何十人?)かが集まって、この一年を語っている風景なのだけど、同期生ということばが成り立つぐらいの大きな組織であることと、そしてもっと重要なこととして、入社してからまだ間もなくて、同期生で集まることにためらいがないということ。これが二十年、三十年と経過すると、いろいろな理由で、「ボーナスの日にあつまりて」とはならなくなってくるのですね。


年の瀬の男ばかりの良き句会

季題「年の瀬」で冬(歳晩)。俳人であるからして、年の瀬だって句会をもつのだけれど、それがたまたま男子ばかり、いゃ野郎ばかりであったよ、しかしそれのどこが悪いんだ、男ばかり上等じゃないか。いい句会じゃないか!という「じわっとくる笑い」がある句。ポリコレ的におかしいとか、そういうことは言わないでください。
「年の瀬の」「男ばかりの」ときて、さあどうなるのか、と思わせておいて、「良き句会」という落とし方が、俳句の俳句らしさを失わないぎりぎりの線でふみとどまっていて心地よい。


(句帳から)

冬日和機影ふらふら近づける
冬の星保育園からおんぶして

  
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第126回深夜句会(11/15) [俳句]

長くお世話になっているカフエ「マメヒコ」へ行くと、11月23日に幻の名企画「タダヒコ」を実施するという(幻と呼ぶ理由は、10年ほど前に漠然としたアナウンスがあったきり、実現をみなかったから)。スケジュールが合わず、参加できないのが残念。

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(選句用紙から)

大根に魚網を被せ干しにけり

季題「大根」で冬。
不思議な風景…頭で考えて作れる句ではないので、実在するのだろう。海か川か湖かはわからないが、水辺にほど近い大根畑の、地上に顕れている大根葉の部分に、魚網が被せて干されている、というのだ。大根葉に被せることができるぐらいの魚網であるからして、漁船2隻で曳く底引き網なんていう大掛かりなものではなくて、投網みたいな、人が手で操る小さい網なのであろう。川べりの小さな大根畑と、そこに干された小さな投網、その近くには人が暮らしている、というような風景が想像される。

鶏頭の朱のつんとしてをりにけり

季題「鶏頭」で秋。
鶏頭の姿かたちについて「つんとしている」と叙した句はいくらもありそうだけど、その「朱色」の色味がつんとしている、と述べたところがこの句の眼目。

(句帳から)

湖面を渡つてきたる時雨かな
どこからかチャイコフスキー冬日向


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番町句会(11/9) [俳句]

先月は欠席してしまったので、2か月ぶりの参加。
きょうのお題は「時雨」。先月琵琶湖を歩いたばかりだけに、これは大助かり。

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(選句用紙から)

時雨より一足先に客の着く

季題「時雨」で冬。秋に降る時雨は「秋時雨」。
午後から夕方にかけて時雨れることが多い地方で、「客」を迎える仕事、たとえば旅館を営んでいるのだろうか。きょうの宿泊客が到着するまで降らないといいが…と案じていたところ、事情を知ってか知らずかお客さんがやってきて、それを追いかけるように時雨がやってきた。

小畑の隅まで菊の占めてをる

季題「菊」で秋。どのような場所なのか、小さな畑の隅のほうまで、菊が植えられていて、それが花をつけている。「隅まで」としたことで、菊がそれほど背の高い菊ではなく、小菊であることがわかる。また、その畑が小さな畑であることから、たとえば山間部の段々畑のようなところの一区画なんかが想像され、そんな場所に、ていねいに人の手が入った小さな畑があり、そこで植えられているのが菊である、ということに興趣を感じる。

湖南より伊賀はほどなし時雨れつゝ

北から南へ、雲と時雨がセットになって(当たり前だが)流れていくのでしょう。琵琶湖の湖面を渡り、湖南まで来た時雨は、その先の山のほうへ流れていく。そこまでの場所に雨を降らせた風は、そこから先では乾いた風になってしまうのだけど、伊賀もまた、時雨の季節を迎えることであるよ、という句。「ほどなし」が、自分の旅程のようでもあり、風の行き先のようでもあるところに詩情が感じられる。

(句帳から)

クレーンの吊荷に冬の雨そそぐ
ゴール地点根深汁などふるまはれ
冬の森から赤やピンクの山ガール

  
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第125回深夜句会(10/25) [俳句]

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急に寒くなる。高層ビルの上に出ている月がきりっとしていて、既に冬の月の色になっている。

(選句用紙から)

紫の絵の具めきたる式部の実

季題「紫式部の実」で秋。実むらさきとも。
紫式部の実の色は、その名のとおり紫色なのだけど、その紫色が、どういえばいいのか、およそ天然の産物とは思われないような色をしている(従って、コーティングしたお菓子のように見える)ので、「絵の具めきたる」は共感できるところ。おそらく類想・類句がいろいろあるのだろうが、不勉強で存じあげないので、迷わずとらせていただく。

湖北より湖南に流れ鰯雲

どこの湖かということは書かれていないが、日本で湖北とか湖南とかいえるぐらい大きな湖といったら、まず琵琶湖でしょう。実際に「湖北地方」という言い方をするし。で、秋になってその大きな湖の上を、北から南へ鰯雲が渡っていくのですね。空の大きさと、その下にある湖の大きさが活きている。

満月の磧に来れば一人ゐる

季題「月」で秋。月を愛でるためか、それ以外の用事があったのか、満月の夜に河原に来てみると、そこには先客が一人いた。それが誰だとか何をやっているとかは語られないのだけど、真っ暗な夜の河原に、満月の光を浴びてたたずんでいる先客の姿がおそろしくも鮮やか。一方、「来れば」を「来たので」の意味にとると、一人ゐるのは自分ということになるのだけど、「来たので」「一人ゐる」という理路がよくわからないから、やはり「来てみると」と解するほうが自然であるように思われる。

(句帳から)

秋晴や昼からあいてゐる酒場
鉄橋を気動車徐行秋惜む
よもすがら秋のをはりの雨の音

 
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第124回深夜句会(9/20) [俳句]

(選句用紙から)

表彰式新たな霧に包まるる

季題「霧」で秋。「新たな霧」というからには、断続的に霧が出たり晴れたりしているのだろう。平地でもそういうことがないわけではないけど、山がちな村とか、あるいは山の中とか、そんな場所が想像される。
そこへもってきて「表彰式」というと、これはどういう状況なのか。山奥の小さな学校の運動会とか、トレールランニングの大会の表彰式とか、そんな状況だろうか。
で、競技中も霧が出たり晴れたり(で競技の模様が見え隠れしていた)だったのが、全部終わってさあ表彰式という今になっても、やっぱり霧に包まれてよく見えない、というのが面白い。

ふらふらと来て秋の蚊に食はれけり

季題「秋の蚊」。ふらふらと来たのは秋の蚊なのか、それとも食われた人なのか、そこが定かでないが、秋の蚊であれば「来て」でなく「来た」とか「来し」とするだろうから、人がふらふらと来たのだろう。「ふらふらと」は病気でもなく、体の支障でもなく、酔っ払って歩いているのだろうか(そのほうが、蚊に食われることとは整合する)。

古井戸に湛へし秋の水の面

(句帳から)

病院の前のバス停秋の暮
技術部の芋煮営業部の芋煮
露月忌や大河に面し船着場



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番町句会(9/15) [俳句]

きょうのお題は「太刀魚」と「甘蔗」。

(選句用紙から)

雲黒く海昏き日も甘蔗

 「涙そうそう」の「晴れ渡る日も雨の日も」を連想するのだけど、国内でサトウキビを詠むとすれば、和三盆の原料となる竹糖を除けば、どうしたって沖縄のサトウキビ畑ということになる。で、青空とか青い海とかがお約束のようになってしまいがちなのだけれども、南西諸島はまた台風や過酷な気象条件の影響を受けてきた場所でもあって、そのようなサトウキビ畑も、またその場所の季節を形作る上での重要な事実である。

お隣も同じ間取や秋刀魚焼く

あまりによくわかる―映画のワンシーンを切り取ったような―句なので「つきすぎなのでは?」と議論になる。お隣も同じ間取り、ということからして、これは集合住宅、それも鉄筋のマンションなんかではなく、庭先で秋刀魚が焼けるような長屋(関西なら「文化住宅」か)ということになる。そのうちの1軒で夕餉に秋刀魚を焼いていると、その煙とかにおいとかが、隣にもその隣にも流れていく…という風景。しかし、そういう長屋に住んだり見たりしたことのない世代もいるかもしれず、そうすると、数十年後にはこの句も注釈が必要になるのだろうか。


(句帳から)

甘蔗畑の先に不意に崖
圏外となりて楽しき野路の秋

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第123回深夜句会(8/23) [俳句]

(選句用紙から)
 
咲きつげる木槿の白し登校日

季題「木槿」で秋。毎日咲いては散りまた咲いては散り、を繰り返す白木槿が、ひさびさの登校日にも咲いていた。「登校日」は、新学期最初の登校日とも、また夏休み中に指定された投稿日とも読めるが、季題が木槿であることからして、新学期が前面に出てくるよりも、夏休みの一日と読むほうが楽。この句の興趣は、詠み手が、いま目の前に咲いている木槿から、自分が登校していない、つまり登校日の前後の日々に咲いては散っている木槿を想像していること。

溝萩を背負ふてベンチの二人掛け

季題「溝萩」で秋。公園なのか生垣なのか、ベンチの背後の草むらに赤紫色の溝萩が咲いている。その溝萩を「背負うように」ベンチに二人が座っている。座っている二人が溝萩を「背負っているようだ」と見たところがミソ。

(句帳から)

二段重ね三段重ね雲の峰
秋雲の影が動いてゆく広場

  

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