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おおうちそのよ「歩くはやさで旅したい」(旅行人、2018) [本と雑誌]

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これが「どのような旅の本なのか」と問われると、説明が難しい。
同じ場所に同じカメラを構えれば同じ写真が撮れるとは限らないのと同様、同じ風景を見ても、この作者の目には、このように映るのですね。俳句という文芸は、感じ取る力と言葉に置き換える力の両方が必要なわけだけど、このように感じ取る目を持っていること自体が、稀有な感じ。

本書は、旅の具体的な情報を求めて読む本でもなく、紀行文やエッセイとも違う。しいて言えば、旅とは何か、について、直接論じることなく示唆している本というべきだろうか。蔵前仁一さんの「ホテルアジアの眠れない夜」とか田中真知さんの「孤独な鳥はやさしく歌う」とはまた違った、旅することが人間にもたらす何かを考える上で重要な気づきが得られる名著。「旅行人」連載時に楽しみにしていたコーナーでもあり、腰巻きで蔵前さんが「どうしてもこの本を出したかった」と書いていることに深く共感する。



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スコット・ジュレク『NORTH 北へーアパラチアン・トレイルを踏破して見つけた僕の道』(栗木さつき訳、NHK出版、2018) [本と雑誌]

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アパラチアン・トレイル(AT)を南から北へ走って、最速(最短時間)踏破記録をめざす話、と要約してしまうと身も蓋もないのだけど。
時間との戦い。自分との戦い。サポートする配偶者の視点と本人の視点が交互に語られることで、ものの受け止め方の違いみたいなものを描き出すことに成功している。

また、ストーリー的にも面白い。気楽にスタートしたものの、すぐにケガをしてしまってそこからのリカバリーに苦労するとか、著名なランナーなのでしだいにファンが増えてきて、楽しかったり鬱陶しかったりするとか、アンチが湧いてくるとか。最後は専門家集団?がサポートチームとなって記録達成に向けて全力で支援する。このあたり、最初から最後まで1人で歩いていたら、周囲との相互作用が描かれないことになるので、こういう物語にはならない。

それらを楽しく読んだ上で、ちょっとはみ出すとすると、ロングトレイルは来る者を拒まないので、最速踏破記録をめざすことも一興だと思う。だからといって(そのような誤解はないと思うが)トレイルは競技のためのトラックだと思われても困る。そのあたりは、むしろ読む側の課題なのかもしれない。同じトレイルを歩いても、以前にこのブログでも紹介した加藤則芳『メインの森をめざして―アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』とはだいぶ趣が違う。どちらがいいとか悪いとかではないが。




 
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マーク・ヴァンホーナッカー『グッド・フライト、グッド・ナイト』(岡本由香子訳、ハヤカワ文庫、2018) [本と雑誌]

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山ほどある「航空関係者が語るエアラインこぼれ話」とか「パイロットが語る飛行機物語」の類とは一線を画し、独自の詩情をたたえた(しかし、下手に文学づいていない)エッセイ集。従って、そのようなこぼれ話や雑記を探す向きには物足りないかもしれない。多少おおげさにいえば、「人間の大地」や「夜間飛行」に通じるような詩情(直截なものではないが、通底するものとしての詩情)が感じられる。他方で、実用書としての価値がないかというとそんなことはなくて、気象や天文についての知識を大幅に増強してくれる一冊でもある。

上記のような詩情を感じられる理由は二つあって、ひとつには、文化の多様性に対する著者のゆるぎない支持や信頼があること、もうひとつには、さまざまな古典を適切に引用しながら、自分の言葉を選んで表現を練り上げているところだと思う。

さまざまに変化する空や水や人の描写は、時として俳句の写生を思わせるところもあり、また、飛行機を飛ばすために働いているさまざまな人々の強い仲間意識がほほえましく感じられる。この本を読んだあとでは、空港や機内、窓から見える地上や空の上の景色も少し違って感じられることだろう。





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深緑野分『戦場のコックたち』(東京創元社、2015) [本と雑誌]

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文庫になるまで待つとか言ってないで、もっと早く読むべきだった。
一応謎解きの形式になっているのだけど、そういうジャンル分けが無意味に感じられる力作。これが長編デビューとは、にわかには信じられないほど。
2018年の個人的第2位が、最後の最後にやってきた(ちなみに1位は吉田裕『日本軍兵士』(中公新書、2017))。

エピローグを読みはじめて、最初「なんでこんな余計なものを?」と感じたが、そうではなかったのですね。このエピローグこそが、この本のコアなのでしょう。

 


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松家仁之『火山のふもとで』(新潮社、2012)【一部ネタバレ注意】 [本と雑誌]

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文庫になるのを待たずに、すぐに読めばよかった本シリーズ第2弾。
ことし最初に読んだこの1冊が、今年のベストワンになるはず。大げさにいえば、小説という形式に、まだこのような可能性が残っていたことがとても嬉しい(しかも、何かすごく新しいことが試みられているわけではないのに)。

一つ一つの場面が、すみずみまでピントが合った風景写真のように、色彩、音、におい、温度などこちらの五感を総動員してくれるのに、それがちっともうるさく感じられないことに感心する。よくよく慎重に考えて正確に選び抜かれたことばで綴られた物語だからなのだろう。

また、結末のつけ方に感服する。この物語はどのように終わるのだろうと心配させておいて、こういう着地をしてくれるのですね。終わってしまうのがもったいなくて、最後の2章ぐらいを1週間かけてなめるように?読んだ。

個別に立ち入って感想を述べると、麻里子の造形と雪子の造形が周到であること。ひとことで言い表している部分もあって、たとえば

(以下引用)
麻里子の笑顔は、向けられる先が誰なのかいつでもはっきりとしている。ところが雪子の笑顔はただそこににじみ出て、誰が受けとろうが受けとるまいがかまわないといった風情に見える。それは雪子の不思議なおだやかさがどこからやってくるのかわからないのと似ていた。(p.147)
(以上引用終わり)

のようなところは、それ以外の表現に置き換えるのが難しいほどの説得性がある。その雪子が最後の1ページで(p.377)徹に向けるひとことは、これはもう参りましたとしか言いようがない。引用するのがもったいないので、ぜひ本屋さんでこの本を買って読んでほしい。

また細部に立ち入ると、例えば、徹と麻里子の大事な場面(pp.78-9)で棚から取り出すLPがブラームスのピアノ協奏曲第2番で、しかも徹はB面をかけるのですね。つまり、意図して第3楽章から聴いているわけです。できすぎというか…しびれる。もっともこの場面に限らず、ここに出てくる人たち全員の文化資本の蓄積ぶりってすごすぎませんか、と(感心しつつも)僻みたくなることも事実。

さらに、長い時間の経過とともに、徹のものの考え方が変化していくことも見逃せない要素で、かつてあれほど違和感を感じていた船山圭一の設計が、「当初の計画どおり、あるいはそれ以上の広がりをもって着実に機能してい」ることを肯ったり、「初めての夏に、毎日のように聴いた声。しかし、どうしてもその鳥の名前が出てこな」かったりする。こういうところも、この小説の説得性に寄与しているのだと思う。

  




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北村薫『中野のお父さん』(文春文庫、2018) [本と雑誌]

面白くてスイスイ読めるし、なるほどと思わせるところも多いのだけど、息詰まるような展開とか、読後に残る余韻や重い感じとかがもう少しあってもいいような…

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北村薫『八月の六日間』(角川文庫、2016) [本と雑誌]

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ふだんアマゾンの読者レビューを読まないのだけど、何かのはずみで本書のレビューを見たら、主として高齢の登山者と思われるレビュワーから「実際の○○山はこうではない」とか「山と関係ないことが書かれていて余計」とか書き込まれていて、笑ってしまう。山のガイドブックではないのだから、お門違いとしかいいようがない。だいいち、それを言い出したら、主人公は忙しくてたまにしか山に行けない割にはずいぶん健脚なんですね、などと無限に突っ込むはめになってしまって、全然面白くない。

こういうお門違いが生じる理由は、山を舞台にするとどうしても実在の山や山小屋を持ち出さざるを得ないからで(まったく架空の山でも小説は書けそうだが、あまり面白くなさそう)、これが例えば野球やサッカーを題材にした小説だったら、ボールが消えようが、弱小チームが甲子園に出ようが、要するにどれほど現実離れしていても「設定が安易すぎる」とか言う人は少ないと思うのだけど、「槍ヶ岳」とか「大天荘」とか固有名詞が出てくるので、ぐだぐだ言いたくなってしまうのも無理ない面もある。

また、昨今のご時勢では、ここに書いてあること(だけ)を全部そのまま真に受けて、暗くなってから山小屋に着いて平気とか、ザックの中はお菓子ばっかりとか、本当にそういう登山者が現れないとも限らないので、本文と解説(瀧井朝世さん)のあとにわざわざ、

(以下引用)
---------------
「この作品はフィクションであり、(中略)作品中で描かれている登山時間や必要な道具類などはあくまで「主人公の場合であり」、季節や天候、コース状況、各人の体調や経験などによって大きく異なります実際の登山の際は、山小屋や登山用品店のスタッフなどプロの助言のもと、万全の装備で無計画な登山は避け、無理をせず自分のペースを守って登るようにしてください。(以下略)(p.323)
---------------
(以上引用終わり)

と書かれている。だから本当に、山のガイドブックではないんだってば。それにしても、地図も登山ガイドも読まず、この本に依拠して山行計画を立てる人がいるのだろうか…豆腐の角に(以下自粛)

この数年でたまたま、山を舞台にした小説として『春を背負って』『山女日記』そして本書『八月の六日間』を読んだが、それぞれに違った特色をもつ作品で、登山経験があろうとなかろうと、楽しめるのではないか。

 


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藤岡陽子『手のひらの音符』(新潮文庫、2018) [本と雑誌]

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以前に友人から勧められてから、気になりつつ手にとる機会がなかった本が地元の書店の文庫平台に積まれている。腰巻きの惹句に「良い小説」とあるのはちょっと引っかかるところで、小説に「良い」「悪い」のモノサシを持ち出すのは違うと思うが、そう表現したくなる気持ちは、読んでみてよくわかった。

この小説には明確に「いい人」とか明確に「悪い人」というような人物は登場しない。それぞれが弱いところを持ちながら、なんとか道を模索していく過程で、助け合ったり傷つけあったりする、そういうストーリーが、読者の共感を得ているのだと思う。

また、俳人(のはしくれ)としては、季節の描写がよくできていて、それがストーリーに立体感をもたらしているところも見逃せない。例えば、
(以下引用)
窓の向こう側の新緑を、水樹は眺める。目に染みるような田んぼの緑が息をのむくらいに美しい。新幹線は滋賀を通過したところだ。東京を出てからまだ二時間も経っていないのに、光を帯びた瑞々しい田や畑が
果てしなく続いていて、それをぼんやり眺めているだけで固く張っていた心が緩んでいく。(p.64)
(以上引用終わり)

というようなところ。

あとがきを読んでみて、この作家には既に何冊も著作があることがわかったので、さっそくもう1作品、『いつまでも白い羽根』を読んでみることにする。

 

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中脇初枝『世界の果てのこどもたち』(講談社文庫、2018) [本と雑誌]

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腰巻きに「2016年本屋大賞受賞」と書いてあって、よくよく見たら本屋大賞「第3位」と書いてある。これほどすばらしい本が第3位なら、第1位や第2位はどんな本なのかと疑問に思い、調べてみたが…
あの本とあの本ですか。偶然だがどちらも読んだことがある。どちらも面白かったけど、私なら段違いにこっちだと思うのだが。

内容について多言を要しない。属性でものを言うことの不毛さ。どのような属性の下にも、しょうもない個体とすばらしい個体が混在しているという現実。仮に属性間に何らかの差があったとしても、その差より個体差のほうがずっと大きいということ。

ひとつひとつのエピソードがリアルなのは、詳細かつ大量の取材があって、そのほんの一部分を使っているからだと思われ、タイムリミット的なことも考えると、その点でも価値ある一冊。『アグルーカの行方』と続けざまに、まだ7月だが今年のベスト1が2冊到来。




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角幡唯介『アグルーカの行方』(集英社文庫,2014) [本と雑誌]

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もっと早く読めばよかったと悔やまれる一冊。

旅や冒険の記録を面白く書くことは、とても難しい。書き手にはわかっている面白さが、読み手には自明ではないからだが、それをクリアしたものだけが作品として生き残っていくことになる。だから、新しい書き手にはなかなか手を伸ばしにくいのだけど、これは逆に、読むのが遅かったという気にさせられる傑作。
(すでに多くの賞を受賞しているのだから、分かりきっているではないかと言われればそうなのだけれど)

内容について改めて説明するのも余計かもしれないが、北西航路を探索に出て行方不明になった1845年の英フランクリン隊の足跡を実際に追っていくものだが、まずその構成の妙に感心させられる。つまり、史実を追って、現実の冒険(調査)と過去の記録が交互に現れていくのだ。その繰り返しの中で、今なお謎とされているいくつかのことがらについて、著者の考え方が順番に示されていく。むろん著者は結論を得た上で書き始めているのだけど、わかっていても、著者といっしょに推論をしていくような気分を味わうことができ、たいへん楽しい。

また、その調査も、さまざまな障害に阻まれながらも、現場をきちんと踏んでいこうとする姿勢が貫かれており、単に「仕事」として行われる調査とは趣を異にする。ジョアヘブンの村で訪ねたルイ・カムカックのこの言葉(312頁)は、何気なく書かれているが、著者が引き出した名言というか、著者が叫びたいことを相手が代弁してくれているのではないだろうか。
(以下引用)

みんな机の上で資料をひっくり返しているだけさ。こんな遠くまで来る者はほとんどいないんだよ。

(以上引用終わり)

冒険の記録は数多くあり、過去の事跡に関する研究も数多くある。しかし、両者をこのような形で融合することで、この作品は別の価値を得たといえるだろう。

 次に、著者は冒険家といわれる人であるからして、実際にさまざまな危険を伴う何かを経験して現在に至っているわけなのだけど、登山にせよ、探検にせよ、そうした危険を伴う行動に人がのめりこんでいく理由について、自分の経験をまじえて説得的に説明していることに感心する。
 説明によれば、それは、そのような命の危険が、逆に「生命の実体」とでもいうべきものを照らし出し、人に居場所を与えるからだ、といったことになる。
 それまでの探検の過程で散々な目にあったはずのフランクリンが、なぜ高齢にもかかわらず再び危険を求めて探検に出たのか、という点についての以下の説明は、非常にわかりやすくハラに落ちるものだった。

(以下引用)
分かりにくいのは彼が、他人には悪夢にしか聞こえないようなこのような体験にも懲りず、その後ものこのこと北極探検に繰り出したことだろう。おそらく彼は最初の体験で荒野に魅せられてしまったのだろう。不毛地帯のただ中で生死の境を彷徨ったにもかかわらず、ではなくて、生死の境を彷徨ったからこそ彼はまた探検に出かけたのだ。ふらつき、腐肉を漁り、靴を食い、贅肉が削げ落ちたことで、圧倒的な現在という瞬間の連続の中に生きるという稀な体験をすることになった(…)初めて生きるものとしての強固な実体が与えられることになった。(429頁)
北極の氷と荒野には人を魅せるものがある。一度魅せられると人はそこからなかなか逃れられない。それまでふらふらと漂流していた自己の生は、北極の荒野を旅することで、始めてバシッと鋲でも打たれたみたいに、この世における居場所を与えられる。それは他では得ることのできない稀な体験だ。(432頁)

この部分を読んでいてふと思ったのが、ジョン・クラカワーの「荒野へ」(集英社文庫)だ。あの話でクリス・マッカンドレスが人里を離れた荒野にのめりこんでいく理由が、上のように考えるとよく説明できる。

控えめで抑えられた筆致といくぶんの諧謔味も、この本を好ましいものにしている(自分を突き放して笑うことができるのは、1人称で本を書く上では重要なところだと思う)。また、当時のイギリス的なものに対する適度な距離(持ち上げもせず、落としもしない)もいい。限界を示しつつ、否定はしないということは、けっこう難しい。これは、われわれもまた現在の「時代」の枠の中でしか生きていないという認識があるからできることだと思う。

最後に、地図がある程度充実していることは、読んでいく上で便利なだけでなく、地図自体が読書の対象と考える私にとっては、とてもありがたい(本棚から別の地図帳を持ち出してきて参照しなければならないようなノンフィクションは、けっこうある)。

 


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池澤春菜が選ぶ池澤夏樹の10冊(『本の雑誌』417号) [本と雑誌]

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池澤春菜さんは以前から『本の雑誌』誌に書評を寄せられていたので、いずれ実現すればいいと思っていた“夢の企画”がついに登場。池澤夏樹ファン、池澤春菜ファン、ついでに福永武彦ファンもただちに書店に走るべし。

まず、池澤夏樹のたくさんの著作(翻訳や編集を含めて)をよく読んでおられることに驚く。ここで10冊全部を紹介するとネタバレになってしまうのでやめておくけれども、ひとつだけ紹介すれば、数ある著作から「最も長い河に関する省察」を選んでくれたことに感謝。あれはバックパッカー必読の一冊だと思う(36年前の本で、現在は入手不能だが、同じ版元の『池澤夏樹詩集成』で読むことができる)し、あの中に入っている「午後の歌」には幼いころの池澤春菜さんが詠まれている。

ちなみに藪柑子が選ぶ池澤夏樹の10冊は、以下のとおり。特に順位はない。
『池澤夏樹詩集成』(書誌山田、1996)
『タマリンドの木』(文藝春秋、1991)
『南鳥島特別航路』(日本交通公社、1991)
『むくどり通信』(朝日新聞社、1994)
『ハワイイ紀行』(新潮社、1996)
『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』(集英社、2004)
『異国の客』(集英社、2005)
『風神帖』(みすず書房、2008)
『骨は珊瑚、眼は真珠』(文藝春秋、1998)
『言葉の流星群』(角川書店、2003)

本を読む時間がほしい。





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井田良・佐渡島紗織・山野目章夫『法を学ぶ人のための文章作法』(2016、有斐閣) [本と雑誌]

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本のタイトルは『法を学ぶ人のための…』だが、むしろそれ以外の人が読むべき内容かと。なぜならば、法を学ぶ人は遅かれ早かれ司法試験で文章力が試されるのに対し、それ以外の大多数のひとびと(藪柑子もその中に含まれる)は、文章作法のトレーニングをする機会もほとんどないまま社会に放り出されるわけで、しょうもないハウトゥー本を読むくらいなら、本書のほうがずっと役に立つのでは。

強く印象に残ったのは、「段落の用い方」という箇所(PartⅢ-4)に出てくる著者のつぶやきである(この章は、山野目先生が書かれている)。

(以下154ページから引用)
本当は,「どこで改行するかをよく考え……自覚的に段落の機能を設定する必要がある」(→PARTⅡ2)。喫煙者自身の健康への影響と,受動喫煙とを段落を改めて論ずることは意味があるにちがいない。否,段落の取り方は,それしかないであろう。イ・ウ・エを改行しないで続け1つの段落とし,その忍耐の後に,今度はオ・カ・キを1つにまとめる,ということすらできない,ひ弱な知性の若者たちに場合によっては司法権力を委ねなければならないとしたら,それは,私たちの文明の大問題ではないか。
(以上引用終わり)

文の終わりで、ここで改行するか?それとも意味上のまとまりを考えて改行せずに続けるか?という選択は、書き手の側では常に発生するのだけど、それを読んで採点する側は、ここまで熱意をもち、またつきつめて考えているのですね。幸か不幸か、藪柑子は若者ではなく、また司法権力を委ねられる心配も皆無なのだけど、そうであっても、こういう惰弱なブログを開設して、明確でも合理的でもない文章を、段落の設定も考えずに適当につづっていると、やがて地獄送りになりそうである。反省。


もう一つ、これは内容自体の適否というよりその例えの重さに遠い目になってしまうのが、イントロダクション(この部分は、井田先生が書かれている)で、こんな表現がある。

(以下3ページから引用)
よく知られた喩えをここで借用すれば、皆さんはすでに大海原をそれぞれの船で航海中なのです。いま致命的ともなりかねない船の不具合を発見したのですが、これから港のドックに戻って修理している時間はありません。それに、出発した港がどこにあるか、もう遠くてわからないのです。むしろ目標を目指して公開を続けながら、海上にて皆さんの大事な船を修理していこうではありませんか。本書はまさにそのために役立ってもらいたいと思っています。
(以上引用終わり)

一段落まるまる引用してしまったのだけど、なかほどの「それに、出発した港がどこにあるか、もう遠くてわからないのです。」という一文に、じわじわと来るものがあるのですね。おっしゃるとおり、もう遠くてわからない上に、わかったとしても引き返せないのですよ。自分がトシだからそう思うのかもしれないのだけど。

ともかく一読をおすすめしたい一冊。






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川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書、1996) [本と雑誌]

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ウォーラーステインの「世界システム論」の読者なら、とりたてて大きな発見があるわけではないのだけど、私たちの生活に深くかかわる砂糖が、どのように世界商品に成長していったかという過程がとても面白い。それは同時に、近代のイギリスの経済史そのものということもできる。

指摘されている現象自体には同意だが、理由について疑問な点がひとつ。
同様の世界商品に成長したタバコのプランテーションと砂糖のプランテーションを比較して、タバコ農場主は現地に定住して現地の社会資本を幾分なりとも整備した(だから本土では社会資本が発達した)のに対して、砂糖農場主はイギリスに住まっていて、現地には全く無関心だった(だからカリブ海諸国では社会資本が発達しなかった)という説明になっていて、その理由を気候の差に求めているのだけれど、それだけなのかという疑問は残る。ここのところ、ちょっと話が単純すぎないか。

 
 

藤本朝巳『松居直と絵本づくり』(教文館、2017) [本と雑誌]

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福音館書店といえば松居直、松居直といえば福音館というぐらい有名な編集者で、石井桃子さんや瀬田貞二さんたちとともに日本の児童文学の一角を切り開いたパイオニアでもあるこの人の仕事を、若い児童文学研究者がたどっていく本。松居氏へのインタビューも収録されていて、それが本文の内容と一部かぶっているのはちょっと残念だけど、この記録自体は貴重で、後世に残されるべきものと思う。

いちばん衝撃的なエピソードは、創刊直後の「こどものとも」で、ある有名な文学作品をとりあげる(絵本にする)ことを決めた松居氏が画家に頼みにいく場面だ。売れっ子であったその画家は、しかし病に臥せっていて、松居氏が練馬区の都営住宅を訪ねてご夫人に用向きを伝えると、「○○(その画家の名前)は伏せっておりますので、絵が描ける状態ではございません。」と言われてしまう。しかたなく引き下がろうとすると、奥から「その仕事やる、待ってもらえ」と声がかかり、画家は布団の上に上半身を起こして、「××××(その文学作品の作者)、やりますよ。その仕事やれるなら死んでもいい」と松居氏に言ったという。
(pp.46-47)
この話が衝撃的である本当の理由は、この作品が絵本として実現した直後、この画家がほんとうに亡くなってしまったことにある。本書では「いわば、○○さんの最期の作品です。病を押して描き上げたのには、よくよくの思いがあったからに違いありません。」と控えめに書かれているが、ちょっと戦慄を覚えるような話である。

付言すると、絵本化されたその作品自体が、xxxxが死の床で最後まで手を入れていた作品(かつ、私の好きな作品)なので、何かの因縁ばなしのようで、二重にゾクッとしてしまうところである。

さらにさらに、ある画家がこの絵本を読んで絵本をつくろうと決意し、松居直を訪ねてきて「こどものとも」からデビューする話(pp.140-142)とか、後年自らも絵筆をとって、同じ文学作品を別の出版社から絵本化したというエピソード(pp.48-49)が紹介されていて、よくよく因縁めいた作品でもあると感じる。

こうしたエピソードを措くとしても、巻末に掲げられている「松居直編集による月間絵本『子どものとも』一覧(1~149号)」を眺めると、きら星のようなというのか、今でもよく知られている作品がずらりと並んでいて、すごさを感じる。

 
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若菜晃子『街と山のあいだ』(アノニマ・スタジオ、2017) [本と雑誌]

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山の本というより、山を題材にした人間模様ともいうべきエッセイ集だが、静かな中に滋味があって好ましい。

登山経験のない大学生が山と渓谷社に入社して、まあ山と渓谷社であるからして当然のように山岳雑誌の編集部に配属されて、ドタバタしながら編集者として成長していくのだけど、その過程で出てくる先輩編集者や同僚、執筆者がいずれも、俗なことばでいえば「キャラが立っている」というのか、ユニークな人々。これらと並行して、親や家族、地元の人々、他の登山客など、山をめぐっていろいろな人々が現れる。

そうした人々との関係のひとつひとつを、あたかも詩のように(という表現が当たっていなければ、木炭で描かれたデッサンのように)しみじみと描いていく話なのだ、と書いてみると、なんだかちっとも良さが伝わらないのが残念。味付け濃厚な山岳本に飽きたらぜひこの本を。

  

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宗教改革がわかる20冊 [本と雑誌]

きょう10月31日は、「宗教改革500周年」の記念日なのだそうで、キリスト教出版販売協会(そういう団体があるのですね)から発表された「これだけは読んでおきたい・宗教改革がわかる20冊」というリストが面白い。
しかしこのリスト、発表元のプレスリリースにリンクを張っておくべきところなのだけど、検索しても見つけることができないので、ご紹介くださっている方のツィッターに張らせていただいた。下の文字は画面を見て手で入力しているので、間違いがあったらごめんなさい。

ちなみに、1冊も読んだことないのですが(汗)

【初級】
「まんが キリスト教の歴史」(樋口雅一作・絵、いのちのことば社、2008)
「学研まんが NEW世界の歴史6 ルネサンスと大航海時代」(南房秀久原作・城爪草絵、学研プラス、2016)
「図説 宗教改革」(フクロウの本)(森田安一、河出書房新社、2010)
「マルティン・ルター―ことばに生きた改革者」(岩波新書)(徳善義和、岩波書店、2012)
「聖公会が大切にしてきたもの」(西原廉太、教文館、2016)

【中級】
「はじめての宗教改革」(G.S.サンシャイン/出村彰・出村伸訳、教文館、2015)
「プロテスタンティズム―宗教改革から現代政治まで」(中公新書)(深井智朗、中央公論新社、2017)
「プロテスタンティズム―その歴史と現状」(F.W.グラーフ/野崎卓道訳、教文館、2008)
「イースター・ブック―改革者の言葉と木版画で読むキリストの生涯」(マルティン・ルター/R.ベイントン編/中村妙子訳、新教出版社、1983)
「ルター自伝」(マルティン・ルター/藤田孫太郎編訳、新教出版社、2017)
「ルターから今を考える―宗教改革-500年の記憶と想起」(小田部進一、日本キリスト教団出版局、2016)
「ルターのりんごの木―格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ」(M.シュレーマン/棟居洋訳、教文館、2015)
「キリスト者の自由―訳と注解」(マルティン・ルター/徳善義和訳、教文館、2011)
「マルチン・ルター―原典による信仰と思想」(徳善義和、リトン、2004)

【上級】
「牧会者カルヴァン―教えと祈りと励ましの言葉」(J.カルヴァン/E.A.マッキー編/出村彰訳、新教出版社、2009)
「ジャン・カルヴァンの生涯(上・下)―西洋文化はいかにして作られたか」(A.E.マクグラス/芳賀力訳、キリスト新聞社、2009・2010)
「宗教改革の物語―近代・民族・国家の起源」(佐藤優、角川書店、2014)
「総説キリスト教史2 宗教改革編」(新井献・出村彰監修、日本キリスト教団出版局、2006)
「プロテスタント思想文化史―16世紀から21世紀まで」(A.E.マクグラス/佐柳文男訳、教文館、2009)
「カルヴァン 歴史を生きた改革者―1509-1564」(B.コットレ/出村彰訳、新教出版社、2008)

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エリザベス・ストラウト『オリーヴ・キタリッジの生活』(小川高義訳、ハヤカワepi文庫) [本と雑誌]

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初めて読む作者なのだけれど、こういう心理描写があるのですね。見た目には大した事件も起こらないメイン州の田舎町の、1人の女性の周囲にこのような善意・悪意・怒り・嫉妬・愛情・無関心etc.が渦巻いている。それらの一つ一つが、いかにも納得させられるものでもある。読み進めるうちに、この女性(だけ)が特異なのではなく、どんな人の周囲にも、程度の差はあれ同様のことがあるのではと感じさせる。

繊細なようでもあり無神経のようでもあり、臆病にも傲慢にも受けとれるように描かれているため、単純な共感とか反発ができないところは、ちょっと三浦しをんに通じるものがあるかもしれない。

また、こういう作品を高く評価する(ピューリッツァー賞)アメリカのフトコロの深さも同時に感じさせる。日本語では他に『バージェス家の出来事』と『私の名前はルーシー・バートン』の2作品(いずれも小川高義訳、早川書房)しか読めないのが残念。

 


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アリス・フェルネ『本を読むひと』(デュランテクスト冽子訳、新潮社、2016) [本と雑誌]

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こういう本を書くのはとても難しく、一歩間違えれば上から目線で「フランス万歳、フランス語万歳」的な啓蒙本になってしまいそうだけど、そこがそうならないのがこの本の奥深いところ。

思うに、この本の読みどころは三つある。

一つには、「どちらの側も、均一平板ではない」こと。「どちらの側」という対立の図式自体が適切かどうかわからないが、ジプシーも、それ以外の人々も、一人ひとりに考えがあり、決して均一ではないところがストーリーに立体感と納得性を与えている。たとえば野菜畑の所有者であった老教師の考えかた、キャンピングカーを出て定職につくヘレナの考えかたなどなど。

もう一つには、「どちらの側も、ある部分は変わり、ある部分は変わらない」こと。本を読んだり、学校に通ったりすることについては、どちらの側でも、しだいに事態がうつろい、これまでになかったようなことが起こっていく。他方で、ジプシーの生活の根底にあるものや、地域社会の行動原理のようなものは、良くも悪くも変わらない。

三つ目には、死をどのように描くかということ。
本書における死の描かれ方は、ものすごく目新しいものではないが、それが登場人物の物の考え方や行動様式と整合するように描かれているので、その人の人生の終わり方として、それが悲惨なものであっても、そうかもしれないなと思わせるものがある。

ちょうどフランス大統領選挙の時期にこの本を読み、フランスの社会が20年にわたるロングセラーとしてこの本を支持してきた理由を考えると、それは「そういう課題が存在する」ことを社会が認知しているからに他ならず、そしてこのような課題がはらむ緊張関係や拮抗する力―それは復元力につながる―こそが、フランスの力を構成するひとつの要素ではないかと感じられる。


岩波文庫創刊90年記念「私の三冊」(『図書』臨時増刊) [本と雑誌]

古今東西の名著が母語で読めるのはとてもステキなことだと思うので、日本スゲー派のひとびとは、岩波書店の刊行物を(少なくとも岩波文庫を)もっと誇りに思ってもよさそうなものだけど。

いつもの通り、「各界を代表する皆さまに」アンケートをお願いしたもので、
今までに読んだ岩波文庫のうち、
・今日なお心に残る書物は何か あるいは
・ぜひとも他の人びとにも勧めたいと思われる書物は何か
三点を選び、あわせてそれぞれに短評を書き添えてほしいというもの。

読者としては「ああ、この人がこんな本を選んでいるのね」と楽しみに読むのだけど、「この人なら、そりゃ確かにこれを選ぶだろうね」という順当な(従って面白くない)選択もあれば、「えっ、この人がこんな本を推しているのか」という驚きの選択もある。

後者の例として、坪内祐三氏が『オーウェル評論集』を挙げていること。坪内氏が開高健を愛読していたら、その開高健がオーウェルのエッセイの素晴らしさについて語っていたので、それが日本語で読める日を待っていたと書かれているのだが、坪内祐三氏とオーウェルはどうにも結びつかないし、オーウェルの評論のかなりの部分は岩波文庫に収録される以前から日本語で出版されていたわけなので、この回答は何だかよくわからない。

選ばれた本のなかでは、自分だったら最初に挙げるであろう『自省録』を6人もの人が挙げていることが少し嬉しい。ちなみに宇野重規さん、清家篤さん、旦敬介さん、野崎歓さん、山口範雄さん、四方田犬彦さんの6人。

では、このアンケートのように3冊挙げよと言われると、上掲『自省録』以外の2冊は何になるのか、ちょっと迷う。
入りそうなものとしては、『アメリカのデモクラシー』『暗黒日記』『イギリス名詩選』『石橋湛山評論集』『イスラーム文化』『オーウェル評論集』『虚子五句集』『三酔人経綸問答』『ベートーヴェンの生涯』『福翁自伝』『森の生活』『闇の奥』『ロビンソン・クルーソー』『忘れられた日本人』あたりか。もっとも、『ロビンソン・クルーソー』は岩波文庫でなく、岩波少年文庫で読んだのだけど、結構難しかった記憶が。

3冊セットとしての選択がもっとも自分に近いものとしては、
片山善博さんの『生の短さについて』『石橋湛山評論集』『福翁自伝』
清家篤さんの『文明論之概略』『寺田寅彦随筆集』『自省録』
って、どちらも慶応義塾にご縁のある方ですな。

もっとも、回答者の多くは80周年や70周年のときにも同様のアンケートを求められていると思うのだけど、その際の答えと今回の答えがそんなに変わる性質のものとも思えないので、どうやって回答に新味を出そうとしているのか、それらを照らし合わせて読んでみたい気もする。

増田俊也『七帝柔道記』(角川文庫、2016)【ネタバレ注意】 [本と雑誌]

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「初めての作家」3連発の最後に、すごい作品に出合ってしまった。早くもことしのベスト1確定かもしれない。ページをめくりながら、終わりに近づくのがもったいない思いをするのは久しぶり。

舞台は札幌、時代は昭和の終わりごろなのだけど、こういう世界が実在したのですね。"想像を絶する"という陳腐な表現しか思い浮かばないぐらいすごいことが、ふつうのキャンパスライフ(死語?)を送る一般学生のすぐ隣で行われていることに、まず驚く(体育会の他の部との比較も描かれているので、体育会だからということではないでしょう)。柔道部員の一人ひとりのキャラクターも、ていねいに描かれていて楽しめる。

かといって、選び抜かれた人々が世間から隔絶された高みですごいことをやっている、という描かれ方ではなく、ときどき出てくるふつうの学生やふつうの市民(これがまた魅力的)とのやりとりに、何ともいえない味わいがある。

また、小説としてすごいところは、凡百の青春小説にありがちな、そこそこのハッピーエンドをまったく用意していないところ。むしろ、どん底ともいえる状態で終わっている。それにしても、こういう終わり方ってありなんだろうか。未回収の登場人物や挿話がいくつかあるし…と思いながら解説を読むと、一応続編があるのですね。これは一刻も早く読みたい。

小説といっても作者の実体験を描いているので、エピソードの積み重ねに不自然さがなく、とても受け入れやすい。こうした場合、むしろ無数のエピソードのどれを採り、どれを採らないか迷うと思うのだけど、よく考えて選ばれているようで、「あるべきエピソードが、あるべき場所にある」感じがする。作者自身の経験が作品化されたという成り立ちは藤谷治さんの『船に乗れ!』とも共通しており、描かれている世界は全然違っても、特異な求心力という点では同じ印象を受ける。

 



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